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流れ橋です。焼けたところの補修をやっと終わったようです。たばこ?花火?の不始末で橋を焦がすようなことはないように願いたいものです。暖かくなったので沢山の人が渡っていました。
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南国の花と言えば、ハイビスカス。
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西表島の東岸に隣接した「由布島」という小さな島があります。島全体が亜熱帯植物園になっています。「オオゴマダラ」という蝶を飼育されていました。そのサナギはこのように黄金に輝いていました。
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八重山諸島の西表島にある仲間川です。日本のアマゾン川といった雰囲気のある川で両側にはマングローブの木が連なり、熱帯・亜熱帯の植物が一面を覆っていました。
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雲水山 東北院の「軒端の梅」です。和泉式部がこの寺の方丈の傍に閑居して白梅を眺め、この名を残したと云われています。この寺の歴史は古く桓武天皇の782年に建立されています。元禄5年(1692)に焼失して現在の地に移転、明和7年(1770)に再建されたのが現在の建物です。
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昼の休み時間に、吉田神社から真如堂へ行ってみました。吉田神社参道には馬酔木が満開でした。真如堂には唯一の梅がこれも満開になっていました。
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近くの田圃の畦道にツクシが沢山顔を出していました。この頃は土筆はあまり見ることがなかったのですが、これほど沢山生えているなんて、うれしく思いました。春の便りですね。
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京都大学その6です。構内に尊壌堂(そんじょうどう)があります。明治の政治家「品川弥二郎」は、萩の松下村塾で吉田松陰に学びました。その弥二郎が松陰の遺志を継ぎ維新の志士の遺墨を集めて自邸内に尊壌堂を作ったものを、没後京大に寄付したものです。その建物も登録有形文化財となっています。
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流れ橋の近くにある石田神社です。祭神は素盞烏神で大宝二年(702年)の上津屋の地に祀ったのが始まりで治承四年(1180年)源頼政の兵乱により焼失、文治四年(1188年)源頼朝により再建と歴史がある神社です。現在の本殿は嘉永四年(1851年)の造営です。この十三重の石塔は、南北朝時代のものだそうです。
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やっと我が家の鉢植えの梅が一輪花が開きました。この2~3日の暖かさで開いたようです。ツバキも少し膨らみました。フレームの中のサボテンはすでに咲いています。
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城陽市にある平井神社です。正保2年(1645年)に建立され当時は牛頭(ごず)天王社と呼ばれ、明治初めに平井神社となりました。祭神の牛頭天王は、釈迦がインドで仏教を広めるために建立された「祇園精舎」の守護神です。
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例年なら咲き終わっている我が家の鉢植えの梅は、今年はまだ蕾です。ツバキもこのように硬い蕾です。
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厄除けで有名な大津市石山南郷町にある「立木観音」に行きました。正式名を「浄土宗 安養寺」と言います。ここにお詣りするのは約700段ほどの階段を登らなくてはなりません。なかなかシンドイものですが、この道中が尊いのかもしれません。頂上の枝葉には雪が積もっていました。
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京都大学その5です。左から木造の旧演習林の建物。1978年に発掘調査したところ12世紀終わり頃の火葬塚と判明した。赤レンガの工学部・土木工学教室。
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あまり見られなくなった白壁の土塀がありましたので、写真を撮しているとその様子をジッと見つめている猫がいました。警戒しているようです。
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風は冷たいのですが、空の雲は青空にフンワリと浮かんでいて、何だか暖かそうです。「雲に乗りたい 柔らかな雲に・・・・」黛ジュンが歌っていましたね。
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今日は立春、暦の上では春ですが寒い一日でした。近くの田圃を歩いて春を探しましたが、春どころか農園にあったバケツは厚い氷が張っていました。畑の一カ所に菜の花が咲いていました。この黄色の花を見ると暖かく感じられます。菜の花は春を代表する花ですね。
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「福は内、鬼は外」の節分がやって来ました。京都市左京区にある吉田神社の節分風景です。抽選券付きの福豆が一袋200円で売られています。毎年買っているのですが、一度、東映太秦映画村招待券が当たっただけです。
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京都府立植物園の温室にある植物その4です。
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城陽市には、鴻ノ巣山という117.9mの山があります。登り口から1100mほどで山頂に着きます。運動のために登る人が沢山おられます。山頂には、展望台や東屋が設置され途中にもトイレ付きの休憩所があります。道標も整備され、桜、花菖蒲も植樹されて絶好の登山気分が味わえる散歩道になっています。
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