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この頃は、三寒四温の気候が続いています。「水仙や 寒き都の ここかしこ」(与謝蕪村)と詠まれた水仙、葉ボタンの冬の花が咲いていますが、春の花「ユキヤナギ」が咲き始めています。
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今日は、春を思わせる暖かい一日でした。昨年の今頃土筆があったところを行ってみるとありました今年も土筆が顔を出していました。その数は昨年より少ないです。
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左から「パパイア」、「コーヒーの木」アラビアコーヒーは、香気もよく上質なコーヒーを生産します。「カカオ」は自然では結実しないので、人工交配で結実させます。幹に直接実がなるので幹生果と言うそうです。粉末にして砂糖、香料を混ぜて固めたものがチョコレート、粉末から脂分を除いたものがココアです。
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(「水辺の道」⑩ 2007. 2.17の続き) 法念寺と通り過ぎ、城陽の名産イチジク畑を過ぎて近鉄富野荘駅で、水辺の道約7.2km、2時間30分ほどのコースのゴールです。
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京都府乙訓郡大山崎町に、サントリー山崎蒸溜所があります。先日見学に行ってきました。ウイスキー山崎が生産されています。貯蔵室には1976年の樽がありました。ウイスキーは水割りが日本人にとっては一番よいそうで、ウイスキー1に対して水は2.5が美味しいということでした。
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(「水辺の道」⑨ 2007. 2. 7の続き) 昔は鎮守の森と言って神社は一寸した森の中にありましたが、今では木立の中といった感じです。水主神社の本殿です。
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近くの平井神社に咲いていた梅です。そろそろ、あちこちから梅だよりが届く季節になったようです。
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バナナは、食べる房の先に花が咲くと思っていたのですが、それ以外に房から下の方にこのような大きな花が咲きます。これは初めて見ました。
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京都府立植物園に咲いていた椿です。左から「数寄屋(すきや)」、「元日(がんじつ)」、「京唐子(きょうからこ)」です。
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今、京都タワーはご覧のように改装工事中です。どのように改装されるのでしょうか。現在のは京都らしくロウソクをイメージしたとのこと。
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(「水辺の道」⑧ 2007. 2. 2 の続き) 富野荘に「水主神社(みぬし)」があります。元は木津川の左岸にあったそうですが、明治の氾濫で流路が変わり右岸になったとか。境内に末社の「樺井月神社(かばいつき)」もあります。
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京都府立植物園の梅です。2本の梅が花をつけていました。それと「ソシンロウバイ(素心蝋梅)」です。中国原産で梅と名前が付きますが、梅の仲間ではないそうです。
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(「水辺の道」⑦ 2007. 1.29 の続き) 木津川を寺田の方へ進むと平成元年に「ふるさと創生事業」で小学生のアイデアにより「緑と水辺のやすらぎ回廊」として桜並木が作られています。春になればこのような春の道(写真中央)となります。東屋のある地区はまだ工事中のようです。
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(「水辺の道」⑥ 2007. 1.19 の続き) 石碑ある道ばたはこのように改修され舗装道路になっています。木津川は自然いっぱいの河川であってほしいものです。そこにこのようなものが建っています。どのような言われるあるのがわかりませんが、改修されたときにこれも立て替えられたようです。以前のものを偶々写していましたので並べて見ました。
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例年なら、もっと早く咲いている我が家の鉢植えの椿がやっと咲き出しました。今年のような暖冬なら早く咲き出すのかと思いきや、そうでもなさそうです。
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遊覧船に乗るとカモメが餌を求めてついてきます。よく馴れたもので直接手から餌を取っていきます。トンビも同じようについてきます。
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日本海の波を写してみました。海辺に育った人は珍しくも何ともない波ですが、海を見ることの少ないものにとっては、波が打ち寄せるという単純な繰り返しですが、暫し見とれてしまいます。
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(「水辺の道」⑤ 2007. 1.17 の続き) 木津川の堤防に「石田神社遙拝所」と書かれた石碑があります。石田神社は流れ橋を渡ったところにあり、木津川の氾濫による疫病を防ぐために信仰されました。この石田神社の十三重の塔は形状から南北朝時代のものと言われています。
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(「水辺の道」④ 2007. 1.15 の続き) お馴染みの時代劇になくてはならない流れ橋です。橋のたもとに石標があります。「流れ橋(上津屋橋)」と書かれていますが、裏側にはこのように「寄贈 藤田まこと」とあります。そういえば、よく中村主水が渡るのをよく見ました。越後の縮緬問屋のご隠居様一行もよく渡っています。
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(「水辺の道」③ 2007. 1.12 の続き) うちの子供らが通った古川小学校ですが、校門はこのように閉じられています。あの事件があった以後はどこでもこのようになっているようです。少し行くと倉や土塀がある集落を通ります。収穫した野菜などを水洗いする共同の洗い場がありました。見かけない風景です。
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(「水辺の道」② 2007. 1.10 の続き) 倉庫のような建物ですが、「蓮開寺」という寺院です。案内板によると創建は定かではないが、享保18年(1733)には存在していたそうです。平井神社に附属した真言宗の寺で宮寺と呼ばれていました。明治維新の神仏分離により宮寺は廃止になり荒廃したようです。 道路のポイントには、このような指示版がありこれを辿れば目的地に行けるようになっています。 「指月の碑」は民家の玄関先にあり、見落とすような小さいものです。どのようないわれがあるのかわかりませんでした。
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京都や奈良に行っていますが、住んでいる城陽市はどこも行っていないことに気づいたので、市内を歩いてみることにしました。城陽市観光協会に散策コースが紹介されていたので、その中から「水辺の道」を歩いてみました。
近鉄久津川駅をスタート、駅の西側に平井神社があります。本殿と鳥居は江戸時代前期の建造だそうです。平井神社のケヤキは城陽市の名木(樹高20m、幹周2.2m)に指定されています。
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京都・丹後半島にある伊根町には、有名な舟屋があります。舟を格納する建物ですが、すぐに海に出られるように2階には網などの漁具を置くところだそうですが、住居のようにも見えます。現在230ほどの舟屋があるそうです。
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毎日の通勤に通る田圃の風景です。この川の名は、「嫁付川」といいます。何故このような名が付いたのかは定かではありませんが、川というより排水路となっているのが残念なところです。
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近鉄久津川駅の側にある「平井神社」に行きました。夕方だったので人はほどんどいません。本殿前の扉が開かれていたので、初めて中を撮すことができました。
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明けましておめでとうございます。 本年もどうぞよろくしお願いします。
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夏の終わり頃から通らなかったら、田圃の中に何ができるのかビルの建設が行われています。このように段々と田畑が無くなっていくようです。農機具の倉庫にこのような看板が置いてありました。
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畑に取り残された大根、キャベツは、巨大に生長していました。夏に沢山の花を咲かせていた蓮も、今は無惨な姿をさらけ出していました。
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北部コミュニティーセンターでは、門松が飾られています。年の瀬ですね。ホールにはクリスマス・ツリーがあります。門松は少し早いようです。
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近くの神社です。おみくじが、まだ残っているモミジに結びつけられていました。まもなくこの葉も散ってしまい殺風景な冬景色に・・・・
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