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亀岡市宮前町宮川神尾山に「金輪寺」があります。離合が困難な細い山道を対向車が来ないことを祈りながら登ると駐車場がありました。延暦2年(783年)に、西願上人により創建されその後衰退しましたが、寛治年間(1087~93年)に栂尾高山寺の明恵上人により再興されました。幕末、当時の住職は勤皇僧で庫裏に勤皇志士が集まり密議を交わしたそうです。安政の大獄で処刑された頼山陽の三男頼三樹三郎と桜井新三郎頼直の供養塔があります。
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谷性寺から400mという道標につられて「養玄寺」という寺に行ってみました。入口の門が少し印象に残った他は、特に何もない無人のお寺でした。案内板も無く詳細は不明。目の前に田園が広がっていました。
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我が家で咲いている朝顔です。9月に入り朝顔はそろそろ終わりですが、この頃花は小さいですが沢山の花が咲くようになりました。来年は、培養土をしっかりと作って大輪咲きに挑戦!!
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古木の根が露出しています。アップで撮すと岩石のような雰囲気を漂わせています。年月を感じさせますね。竹藪の小道を撮してみました。絣の着物を着た村娘がヒョッコリ現れそうな・・・・・
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谷性寺の裏側に「篠葉神社」があります。案内板によると延喜年間(901~922)に創建されましたが、戦国時代に焼失、承応二年(1653)に氏子の手で再建されたそうです。当時は「楽々葉大明神御社」と呼ばれていたそうですが、明治三年に現在の「篠葉神社」に改称して現在に至っています。
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京都府亀岡市宮前町猪倉にある「谷性寺(こくしょうじ)」です。平安時代の創建で真言宗大覚寺派に属し、不動明王を本尊としている寺院です。天正年間、明智光秀はこの不動明王を信仰し本能寺の変を決意すると「一殺多生の降魔の剣を授け給え」と誓願して本懐を遂げたそうです。安政二年(1855)に光秀を慕う志士がこの首塚を建てたそうです。
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キキョウの里その4。「丹波 かめおか光秀物語 ききょうの里」という旗がたなびいていました。13枚の葉があるモミジがありました。モミジでないのかも・・・・・
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キキョウの里その3。同じ桔梗科の花、沢キキョウです。このように紫と赤があるそうで、赤は「紅花沢桔梗」と呼んでいるそうです。開花期は7月~9月で、花言葉は「高貴」だそうです。
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キキョウの里その2です。桔梗と言えばほとんどが薄紫色で、白色がところどころに見られるのが普通ですが、ここはピンク色の桔梗が咲いていました。初めて見ましたが、ピンク色と言っても白と比較すれば赤みがかっていることがわかる程度ですが・・・・・
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京都府亀岡市宮前町猪倉に「キキョウの里」があります。5万本の桔梗が咲いています。亀岡は、戦国時代の武将明智光秀が丹波地方平定の拠点として「亀山城」を築き、城下町の整備をはじめ、今日の亀岡の基礎を築きました。その明智家の家紋である桔梗をいつの頃か供養として植えられるようになり、今日のキキョウの里に発展しました。
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近くの道端に咲いていた花です。左から「カラスウリ」、「フヨウ」、3枚目は何という花なのでしょうか???? ご存じの方は教えてください。ユリ科の花なのでしょうが・・・・
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『弥生の空は見渡すかぎり・・・』花見の名所の円山公園です。名木の枝垂れ桜はこのような状態です。茣蓙(ござ)を敷いて花見客でいっぱいのなるソメイヨシノの辺りも、今は青葉で誰一人いません。八坂神社の社殿もこの暑さでは人も疎らです。
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京都市東山区にある大谷祖廟にお墓参りに行ってきました。毎年汗だくで山の上部にある墓にたどり着きますが、今年は少し風があったので、涼しい思いをしました。写真は、両側にズラリと提灯がある参道、「おぼん」と花で書かれた大きな水鉢、夜になるとこの提灯にロウソクの火が入り、万灯会という有名な行事があります。
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近くの休耕田には、蓮が咲いています。休耕田を利用した蓮の群生はあちこちで見られます。
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京都御苑は、江戸時代には200もの宮家や公家の邸宅がありましたが、都が東京に移ってこれらの邸宅も姿を消しました。京都御苑の西南角に「閑院宮家」邸跡があります。伏見宮、桂宮、有栖川宮と並ぶ江戸時代の四親王家の一つで宝永7年(1710年)に創立されました。この建物は、明治10年まで邸宅として使用されたそうです。現在は無料で公開されています。
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廬山寺は、ここから中に入り右に行くと源氏の庭があります。この右に目をやると鐘楼があり、更に目を下に転じると、日本画家の池田遥邨の筆塚があります。
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京都御苑の傍にある「廬山寺」です。源氏庭は、キキョウが見頃になっています。この廬山寺は、応仁の乱などに遭い天正元年(1573)に現在地に移転しました。この地は、紫式部邸宅址で紫式部はこの邸宅で藤原宣孝との結婚生活を送り、一人娘の賢子を育て源氏物語を執筆したそうです。平成20年11月1日は源氏物語の存在が確認されてから1000年になり、「源氏物語千年紀」の各種行事が行われています。
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キュウイ、ゴーヤーと南国の果実、野菜が出来ていました。キュウリは鈴生りという見事なもの。柿も青い実を付けていました。
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久し振りに雨が降れば集中豪雨。午後サーと夕立が降って涼しくなるといった雨が降って欲しいものです。 ご近所の庭先に咲いていたオニユリですが、その名のように強い印象を与える花ですね。百日紅も咲き出したようです。
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夏の日の朝、近所で咲いていた花を撮してみました。それと我が家の玄関先に咲いているアサガオです。
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京都御苑の「蛤御門(はまぐりごもん)」です。元治元年(1864年)長州藩と御所の護衛に当たっていた会津・薩摩・桑名藩との間で激戦が行われました。この戦いが禁門の変(蛤御門の変)で鉄砲の弾傷らしきものも残っています。この門は「新在家門(しんざいけもん)」といわれていましたが、江戸時代の大火でそれまで閉められていた門が初めて開かれたので、焼かれて口開く蛤に例えて蛤御門と呼ばれるようになったそうです。
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京都御苑にある「清水谷家の椋(みずだにけのむく)」と呼ばれ、樹齢約300年といわれているムクの大木です。この辺りに清水谷家という公家の屋敷があったことから、このように呼ばれています。元治元年(1864年)の禁門の変の時、長州藩士で遊撃隊の総督だった来島又兵衛が、この辺りで戦死したと伝えられています。ここから東を見るとこのように大文字山(如意ヶ嶽)が眺められます。
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左京区にある「梨木神社」です。9月の中頃になれば沢山の萩の花が咲く萩の名所ですが、今は青々と茂っているだけです。それでも2~3本このような花を付けていました。
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奈良県高市郡高取町にある壺坂寺から高取城趾に向かう山中に、山腹の斜面に露出する岩肌に磨崖仏が彫り刻まれた石仏群があります。室町時代に作られたものだそうですが、苔むして風化が進んでいるようです。
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南禅寺境内にある琵琶湖疎水の水路閣です。完成当時は、寺院の境内にこのような近代的なものが出来るのは違和感があったでしょうが、今では何の違和感もなく周りの風景に溶け込んでいるようです。完成して118年になりますが、今でもこのように水が流れて市民に欠かせない水を供給しています。
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近くの畑には、ハナショウブが咲いていました。栄華の跡のようで寂しげですが、同じ薄紫のキキョウは沢山の蕾をもって、栄華を迎えようとしています。栄華必衰です。
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京都市東山区粟田口にある天台宗「青蓮院」のクスノキです。樹高26mにも達する大木です。12世紀末に親鸞上人が植えたと伝えられていますが、青蓮院が現在地に移転した13世紀以降に植栽されたものとか。その向かい側に良正院という寺院の門前に真下飛泉が明治38年に日露戦争で散った一兵士の死を悼んで作詞した「ここはお国を何百里」で始まる戦友の歌碑があります。飛泉が亡くなったとき、その教え子たちがこの付近住んでいた飛泉を偲んで、ここに建てたそうです。1945年の終戦のときに米軍が軍国調のものは撤去するということで、この歌碑も撤去されそうになりましたが、当時の住職がこれは戦争の悲しさを歌ったものと必死に訴えて免れたそうです。
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7月も中旬になると暑さも一段と増し涼を求める時期となってきました。水辺の木々の緑の中を吹き渡ってくる風は、ひとときの涼を与えてくれます。
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昨日で閉店となった大阪道頓堀にある「くいだおれ」の店頭に設置されている「くいだおれ太郎」という超有名な人形です。2005年2月と2008年1月に撮したものです。同じ大阪にある飲食店でも惜しまれつつ閉店するところや、営業したくてもできなくて閉店に追い込まれたところやいろいろあるものです。ところで、この太郎クンは今後どうなるのでしょうか。いろんなところから譲渡の申し込みがあるそうですが、さてどうなることやら・・・・・
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左京区岩倉にある「三宅八幡神社」前にはこのような噴水のある池があり、水車小屋もあります。動いてはいませんが、実際にあったものをここに移設したものです。茶店がありここで売られている「鳩餅」が有名です。鳩の形をした生八つ橋で作られています。
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