ス ナ ッ プ 写 真   
 
 
 

 
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談山神社その3。本殿の裏山を10分ほど歩くと談い山という566mの山頂に着きます。この辺を「談所の森(だんじょのもり)」と名付けられ、中大兄皇子と藤原鎌足が大化の改新の秘策を話し合ったところとされています。ご覧のように何の変哲もない山の頂ですが、このような秘話があるのですね。
 (2008.11.27)
   
談山神社その2。これが定慧和尚が建立した十三重塔です。白鳳7年(678年)に創建、享禄5年(1532年)に修築されています。高さ約17m檜皮葺き屋根で、神仏混淆時代の名残であり談山神社のシンボル的な存在です。平成19年に改修されて朱色が周囲の紅葉と共存しています。
 (2008.11.25)
奈良県桜井市多武峰(とうのみね)にある「談山神社(だんざんじんじゃ)」です。祭神は藤原鎌足で、桜、紅葉の名所でもあり、神仏分離以前は寺院で多武峰寺と称しました。藤原鎌足の死後の白鳳7年(678年)に長男の僧「定慧」が父の墓をこの地に移して、十三重塔を建立したのが発祥とされています。
 (2008.11.23)
   
櫟野寺その2。本堂前にある小さな祠は、縁結びの神として平安時代から数多くの霊験があるとのこと。  鈴鹿の山に凶賊が住み困っていたところ桓武天皇の命で坂上田村麻呂が苦労の上、櫟野観音の御加護により討伐しました。そのお礼に国技の相撲を奉納しました。以来絶えることなく続けられています。  延暦11年(792年)最澄が槙は寿命が長いので寺の末永い繁栄を願って植えたとか。樹齢1200年と推定されています。
 (2008.11.21)
滋賀県甲賀市甲賀町櫟野にある「櫟野寺(らくやじ)」です。天台宗延暦寺の末寺で、延暦11年に伝教大師が根本中堂の用材を得るために当地に来たとき霊感を感じて、櫟の生樹に彫刻安置したのが本尊の十一面観音菩薩だそうです。1200年後の現在残っているのはこの木だけで、樹齢2000年だそうです。
 (2008.11.18)
表門から桜並木が続く参道を行くと新宮神社があります。春になればこの参道は花見客で賑わうものと思われます。天平4年(732年)に創建され、後にこの地に移されたそうです。本殿の後ろを見ると驚いたことにこのようなH鋼で支えてあります。文化財がこのようになっているとは残念なことです。
 (2008.11.15)
滋賀県甲賀市甲南町にある「新宮神社」の表門です。室町時代の文明17年(1485年)に建てられ、珍しい茅葺きの門で木組みなど細部の意匠にも優れています。国の重要文化財に指定されています。
 (2008.11.13)
   
滋賀県甲賀市甲賀町油日にある「油日神社(あぶらひじんじゃ)」です。案内板によると「創立は明らかではないが『三代実録』(877年)に油日神の記述があるのでこの頃には神社があったと思われる」とありました。本殿は明応2年(1493年)に建立されたもので重要文化財に指定されています。このコウヤマキは樹齢750年ということだそうです。このように歴史ある神社ですが人は誰もいませんでした。
 (2008.11.11)
滋賀県甲賀市甲南町にある甲賀流忍者屋敷に行ってきました。甲賀武士53家の筆頭、望月出雲守の住宅として元禄年間(1688~1703)に建築されたそうです。外見は一般的な住宅ですが、内部は忍者の住居らしく侵入者から身を守る為の工夫が凝らされています。忍者は逃げることを基本としていました。情報を入手すると危害を加えることなく逃げ帰ったのです。この住居も逃げることを主眼にいろいろな仕掛けがありました。
 (2008.11.09)
   
滋賀県の信楽を過ぎた山中に静かな池がありました。水面が周りの風景を見事に捉えていました。周りに一本の柿の木があり実を沢山付けていました。田舎の長閑な風景です。
 (2008.11.07)
今年も菊の季節になりましたね。畑に植えた菊が昨年より一回り大きく育ちました。貰ったときは5号鉢に植えてあったものを畑に植え替えるとこのように大きくなったものです。人も植物もあまり規制すると大きなものにならないということですね。
 (2008.11.05)
秋冬野菜が今のところは順調に育っているようです。あくまでも今のところ・・・・ これからハクサイなどは害虫が発生してどうなることか。ダイコンは葉は関係ないので何とかなるかな・・・・
 (2008.11.03)
   
宇治市の近鉄大久保駅の近くに「旦涼神社(あさくらじんじゃ)」があります。本殿は1674年(延宝2年)に建築されたとか。その他のことは案内板もないのでよくわかりませんが、境内に宇治市名木100選に選ばれた椎の木があります。樹齢400年とか。
 (2008.11.01)
我が家の畑を木津川の土手から撮してみました。コスモス畑の上部青く囲まれたところです。3軒で借りていますので、コスモスに接した1/3が我が家の畑です。隣のコスモスは今が満開です。赤とピンクがほとんどで、白がポツポツと点在しています。ミツバチが盛んに蜜を集めているところを撮してみました。
 (2008.10.29)
城陽市側から見た流れ橋です。時代劇の撮影などで有名になり観光用の橋のようですが、このようにバイクも通る生活に必要な橋なのです。周りにはススキが風に揺れています。
 (2008.10.26)
稲刈りは終わり、脱穀された稲がこのように天日干しされています。その田圃は、水があれば6月の田植え後のような状態になっています。新芽が出てきて稲の生命力を感じさせます。
 (2008.10.24)
コスモス第3弾。借りている畑の隣には、コスモスが植えられています。周りは田圃で稲刈りは、ほぼ終わりを迎えています。
 (2008.10.21)
 薄紅のコスモスが 秋の日の 何気ない陽だまりに 揺れている・・・・♪ あちこちでコスモスが秋風に揺れています。秋の天高い青空にコスモスがよく似合います。
 (2008.10.18)
コスモスが見頃になりました。近くの休耕田に咲いていましたが、放置してあるらしく雑草と背丈を競い合いながら咲いていました。
 (2008.10.16)
稲の刈り取りも盛んに行われています。今年も台風も来なくて豊作のようです。今はコンバインで刈り取り「稲架」の風景は見られなくなりましたが、近くの田圃ではこのような風景が見られます。天日で干したお米はさぞかし美味しいことでしょうね。
 (2008.10.14)
実りの秋がやって来ました。城陽市はイモが名産ですが、近くの農園で芋掘りが行われていて家族連れで賑わっています。料金はご覧の通りです。秋の日を浴びて芋掘りはいかがですか。
 (2008.10.12)
石仏の左側から撮したものと、あと2体の写真です。飛鳥地方にはこのようなユニークな石仏が点在しています。各地でよく見られる地蔵尊の石仏と違って、表情が豊かで見ていて楽しいものです。
 (2008.10.08)
「欽明天皇陵」の向かい側にある「吉備姫王墓(きびひめのみこのはか)」があります。孝徳天皇と斉明天皇の生母で日本書記によると斉明2年(656)に亡くなったそうです。墓域内に、江戸時代に水田から掘り出された石仏4体があり猿石と呼ばれていますが、恐竜のような石仏もあります。
 (2008.10.06)
明日香村にある「欽明天皇陵」で、同村では唯一の前方後円墳です。日本書記によると欽明天皇は、571年4月に亡くなり9月に埋葬されたとか。欽明天皇の頃は、百済から仏教が正式に伝わるなど後に開花する飛鳥文化の源となる時代でした。
 (2008.09.30)
「鬼の俎」の少し先に「鬼の雪隠(おにのせっちん)」があります。これも古墳の一部で蓋にあたる部分です。この周辺は、霧ヶ峰と呼ばれ鬼が住み通行人に霧を降らせて迷ったところを捕らえて、俎で料理して雪隠で用を足したという伝説があります。
 (2008.09.28)
奈良県明日香村にある「鬼の俎(おにのまないた)」と呼ばれている巨石です。古墳の土が流された石室の一部ですが、大化2年(646)の薄葬令に沿ったものになっています。薄葬令とは、今まで自由に作られていた墓を身分に合わせて作ることが出来るように規定したもの。これにより古墳時代は終わったとか。
  (2008.09.25)
今日はお彼岸の中日。家内の実家のお墓に行ってきました。墓は住宅地の中にあります。入口にはこのような石仏が参拝者を迎えてくれます。コスモスが風に揺れていました。
  (2008.09.23)
実りの秋がやって来ました。稲穂もたいぶ頭を垂れるようになってきています。ほどなく収穫の時期を迎えるのでしょう。田にこのような木の杭が4本並んでいました。なんか面白く思ったものですから撮してみました。
  (2008.09.19)
橿原市にある「本薬師寺跡」は、大きな基礎石が残っているだけです。この基礎石を見ると大きな建物が建っていたことが想像できます。そんな境内の片隅に「彼岸花」が咲いていました。夏のなごりの百日紅も咲いていました。
  (2008.09.17)
奈良県橿原市にある「本薬師寺跡」周辺の休耕田に、「ホテイアオイ」が植えられていて、今見頃を迎えています。大和三山の一つ畝傍山をバックに薄紫色のホテイアオイが一面に咲いています。 
  (2008.09.14)
  
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