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京都市上京区寺之内にある「本法寺(ほんぽうじ)」です。永享8年(1436年)に本阿弥清信が創建しましたが、1536年に焼失、天正18年(1590年)に豊臣秀吉によって現在地に移りました。現在の諸堂は、天明の大火(1788年)後の再建です。ここも山門を潜るとこのような桜が迎えてくれます。
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京都市上京区聖天町に「雨宝院(うほういん)」(通称:西陣聖天)があります。弘仁12年(821年)に嵯峨天皇の病気平癒を祈願して、空海が大聖歓喜天像を彫り病は直ったとか。そこで嵯峨天皇は、空海を開基として雨宝堂を建立したのが創建と伝わっています。創建当時は広大な寺域だったそうですが、応仁の乱で荒廃。天正年間(1573~92)に再建されました。境内は狭く注意しないと通り過ぎてしまいそうです。私も通り過ぎてしまいました。八重桜や枝垂れ桜が境内いっぱいに咲いていました。
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上品蓮台寺その2。枝垂れ桜は今が盛りとばかり咲いていましたが、ソメイヨシノは落花盛んとなり、一面花びらで覆われていました。これもまた風情があるものです。
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京都市北区紫野に真言宗「上品蓮台寺(じょうぼんれんだいじ)」があります。聖徳太子の創建と伝えられ当初は香隆寺(こうりゅうじ)と言ったそうですが、天徳4年(960年)宇多法皇の勅願により再建されて上品蓮台寺と改められ多くの伽藍が建ち並ぶ壮大な寺院でしたが応仁の乱で焼失しました。文禄年間(1592~1596年)に再建されました。中に入るとこのような見事な枝垂れ桜が迎えてくれます。
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嫁付川も8日頃に満開となりました。昨日辺りから落花し始めたようです。まだこのようにきれいな桜並木ですが、嫁付川には花弁が沢山流れていました。ここで花見をした男性は花嫁が見つかったでしょうか。
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郡山城その2。天守閣があった周囲に、大数珠が囲んでいます。個数1080個、全長162m、総重量645kgあります。昭和36年にときの観光協会長の発願で築城以来この城にまつわる諸霊、石垣に埋められた仏石を弔うために、市民有志により作られたとか。平成16年に作り替えられています。この石垣には多くの石仏が埋め込まれています。いくら石が必要だったかもしれませんが、石仏を使用するとは・・・・ 「せんとくん」が愛嬌を振りまいていました。2010年に開催される平城遷都1300年記念事業のマスコットです。発表以来仏教界などから異論が出たりいろいろと物議を醸し出しているキャラクターですが、大人も子供も一緒に写真を撮って人気者でした。
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奈良県大和郡山市にある郡山城祉です。戦国時代に筒井順慶が築城、豊臣秀吉の弟の豊臣秀長の居城となり、徳川時代はあの柳沢吉保の子、柳沢吉里が入城、明治になって廃城となりました。全国桜の名所100選に選ばれています。桜は7~8分咲きとなっていました。
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嫁付川の桜も咲き出しました。木によってバラツキがあり7~8分咲きの木もあれば、1~2分咲きの木もあります。満開まであと2~3日でしょうか。
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金刀比羅宮その3。石段785段を登るとこのような本宮があります。眼を転じると讃岐富士が眺められました。更に奥の院と続いていますが、時間の関係で行くのを断念しました。
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金刀比羅宮その2。参道はこのように桜のトンネルになっているところもありました。途中、白馬の神馬が飼われていました。17歳だそうで、人間に換算すると60歳ぐらいでしょうか。賢木門を潜って785段目にある本宮に向かいます。嗚呼シンド!!
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香川県琴平町にある「金刀比羅宮」に行きました。参道の両側に店が並び清水寺の参道のような門前町の賑わいを見せていました。金比羅さんと言えば駕籠ですよね。値段は登りが6000円ほど下りが3千何百円だったかな高いですね。大きな太った人でも同じ料金なのでしょうか。桜が見頃を迎えていました。
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京都市左京区仁王門通りと東大路通りの交差点の近くに「本妙寺(ほんみょうじ)」があります。日蓮宗妙覚寺派の寺で正和4年(1315年)に創建されましたが、中絶、焼失などの変遷を得て享保13年(1728年)に再建され現在に至っています。小さな寺院ですが、赤穂浪士の吉田忠左衛門の墓があり「義士の寺」と呼ばれています。
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近所に「嫁付川」という川というかどぶ川というか??? が流れています。ここに20本ほどのソメイヨシノが植えられています。年々育ってきてきれいな花を咲かせるようになってきました。今はまだこのような蕾ですがそろそろ咲き出しそうです。嫁付け、独身男性がここで花見をすると嫁が見つかる・・・ そんな桜の名所にしたいもの。
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左からコロンビア、アンデス山地に分布する「アマゾンユリ」、中央・南アメリカ原産の「オオオニバス」、コロンビア原産の「サリタエア・マグニフィカ」です。
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京都府立植物園の温室で咲いていた植物です。左からインド南部原産の「ツンベルギア・マイソレンシス」、種子島、屋久島、沖縄、台湾に分布する「コンロンカ」、インドからインドネシアに分布する「ボーモンティア・ムルティフロラ」です。どれもこれも覚えにくい名前ですよね。
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東大路通り仁王門に、門名寺(もんみょうじ)があります。光孝天皇(在位884~887年)の殿舎を死後天台宗の寺としたものです。この寺も宝永5年(1708年)の大火で現在地になりました。明眼地蔵(めいがんじぞう)がありますが、光孝天皇の眼病を治癒したものと伝えられていて、眼を病む人の信仰を集めています。
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左京区東山二条の交差点に日蓮像が、このようにひときは高く立っています。妙伝寺(みょうでんじ)は、日蓮宗本山の山梨県見延山に関西の信者が参詣するのは不便ですので、文明9年(1477年)に創建されましたが戦乱や火災で転々として宝永の大火後現在地に定まったようです。本堂には「関西見延」という大きな額がかかっています。
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セツブンソウと福寿草が咲いていました。セツブンソウは、その名のとおり節分から一月以上経っているので元気がありません。池では水鳥が春の日を浴びて気持ちよさそうに泳いでいました。
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三条大橋には、いろいろな銅像等があります。有名な高山彦九郎の銅像があります。そう言えば昔この銅像前は待ち合わせ場所でした。当時は今のところではなく橋の近くにありました。駅伝の発祥の記念碑もあります。大正6年4月27日~29日にかけて「東海道駅伝徒歩競走」が行われ、スタートは三条大橋、ゴールが東京不忍池で27日午後2時にスタート23区間508㎞を走り29日午前11時34分にゴールしたそうです。
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「花回廊-早春の草花展-」その2。ビニールハウスの中はこのようにレイアウトされています。早春の草花約70種200品種20,000株が植えられているそうです。
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京都府立植物園では、3月22日まで「花回廊-早春の草花展-」が開催されています。このようにビニールハウスの中は春の花が咲きみだれています。菜の花の黄色は暖かさを感じさせますね。
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京都府立植物園に「アンズ」の木が一本ありました。その一本が見事に花を咲かせていました。梅と同じバラ科サクラ属の樹木なので、梅と同じような花です。
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京都市左京区下鴨半木町にある「京都府立植物園」に行ってきました。梅が見頃になっていました。植物園ですから梅の名所のように本数はありませんが、梅の香りが辺りに漂っていて早春の香りも感じられました。
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京都御苑の近くに浄土宗「清浄華院(しょうじょうけいん)」があります。貞観2年(860年)に清和天皇の勅願により慈覚大師が同5年(864年)の建立しました。たびたび火災にみまわれ、現在の建物は明治以降のものだそうです。この塔は、ドラマで有名なあの篤姫の曽祖母で薩摩藩25代藩主島津重豪の側室の「智満(ちまの)の方」のお墓です。
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東海道五十三次の終着点「三条大橋」です。十返舎一九の東海道中膝栗毛の弥次さんと喜多さんの像もあります。三条大橋には、歴史のある擬宝珠が使われていますが、その一つに1864年7月8日新撰組が旅館池田屋に尊王攘夷派を襲撃した池田屋騒動のときの刀傷と云われているものがあります。
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京都御苑の傍にある「梨木神社」です。初秋には萩の花で覆われる参道ですが、今はこのような寂しげな風景になっています。萩もこのようにきれいに刈り込まれていました。
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京都の中心部を流れる鴨川は、出町で左から流れる賀茂川と右から流れる高野川が、ここで合流して鴨川となり市内を流れて行きます。この風景を撮した橋が加茂大橋と言います。
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京都市左京区の東大路通りと丸太町通りが交差点に熊野神社があります。この神社の歴史は古く弘仁2年(811年)に創建されたが応仁の乱で焼失、寛文6年(1666年)再建されたが規模は縮小され、大正元年の市電開通により敷地が削減され現在の大きさになっています。この周辺は聖護院の森と言われる森が広がっていたそうです。聖護院と言えば京銘菓の「八ツ橋」ですが、境内に梅原猛の筆による「八ツ橋発祥の地」の石碑と西尾為治の銅像があります。西尾為治は明治12年に愛宕群聖護院村の八ツ橋屋に生まれ昭和37年に永眠するまで、八ツ橋発展のために改良に改良を重ねて、中興の祖といわれ「京に八ツ橋あり」と名声を高めた人だそうです。
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京都市左京区にある「真如堂」です。正式には「真正極楽寺(しんしょうごくらくじ)」といい、比叡山延暦寺を本山とする天台宗の寺院です。正暦3年(992年)に創建されましたが、応仁の乱で焼失各地を転々しましたが、元禄6年(1693年)に現在地に定まったようです。境内はモミジが多く秋には紅葉の名所として多くの観光客を集めています。
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『こいさんが、わてをはじめて法善寺へつれて来てくれまったのは『藤よ志』に奉公に上がった晩やった。はよう立派な板場はんになりいや云うて、長いこと水掛不動さんにお願いしてくれはりましたなあ。あの晩から、わては、わては、こいさんが好きになりました。』 このような法善寺横丁の中に浄土宗の法善寺があります。本尊は阿弥陀如来ですが、水掛不動(西向不動尊)が特に有名です。水を掛けてお詣りするのでこのように全身苔むしています。
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