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滋賀県甲賀市にある「水口城跡」です。寛永11年(1634年)三代将軍徳川家光上洛の時、将軍宿館として築かれました。作事奉行は、小堀遠州だそうで庭園だけでなく城も造るのですね。2年間に延べ10万人の大工が動員されて作られましたが、将軍の使用は上洛帰途の一晩だけだったそうです。一晩泊まるだけで、これだけのものを造るとは、もの凄い権力と財力があったのですね。その後、天和2年(1682年)水口藩の成立とともにその管理下に置かれ、明治維新後廃城となりました。
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畑では、城陽特産の寺田イモの植え付けも終わったようです。田圃も田植えが終わりポンプがフル稼働して、地下水を田圃に入れています。
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京都市右京区京北鳥居町に「山國神社」があります。無人の神社ですが、794年の平安遷都に当たり、大内裏造営の木材をこの山国の郷より求めることになったのを期に本殿が造営されたとか。祭神は、大国主命です。10月22日の時代祭の先頭を行く、山國鼓笛隊はここがルーツだそうです。
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大池寺その4。境内の周辺には心字の池があり、そのひとつの弁天池です。池の所々にはスイレンが群生していてピンク色の花が涼しげに咲いていました。池の中央には鳥居が水没していました。
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大池寺その3。本堂には、本尊の釈迦牟尼如来坐像(しゃかむににょらいざぞう)が鎮座します。延宝3年(1675年)に修復・彩色され、それから334年経過していますがご覧のように金色色に輝いています。門前には、善峯寺の遊龍の松のような松が植えられています。
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大池寺その2。メインの蓬莱庭園です。江戸初期の寛永年間に小堀遠州の作として伝えられサツキの大刈り込み観賞式枯山水庭園です。白砂に宝船を浮かべて7個の石と小さな刈り込みで、七宝と七福神を象徴しているそうですが、この写真ではよくわかりませんね。
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滋賀県甲賀市水口町にあります臨済宗妙心寺派「大池寺(だいちじ)」に行ってきました。天平年間(710~794年)に行基によって開かれたといわれています。天正5年(1577年)に織田信長の兵火にあって焼失。寛文7年(1602年)に宮城県の瑞巌寺の丈巌和尚によって再建されました。サツキが見頃になっているという新聞を見て出かけました。拝観料400円、駐車場有(無料)。
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昨日、花菖蒲祭があったので行ってみました。神社仏閣の花菖蒲は今が見頃でしょうが、ここは生産農家の花菖蒲なので半月から1ヶ月は遅いのではないかと思いつつ来たのですが、予想通りで99.9%は花が終わったどころか枯れてしまっていました。写真は残り0.1%の花菖蒲です。主催の城陽市観光協会の皆さん!!旗を立ていろいろ準備されたのでしょうが、肝心の花が枯れ果てている時期に祭とはどうなのでしょうか。農産物の即売会が主だったのですか。
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白峯神宮(2009. 5. 1を参照)には、「蹴鞠の碑」があります。この神宮が建っている地は、蹴鞠と和歌の宗家であった飛鳥井家の邸宅があったところなのです。同家の守護神の「精大明神」の社殿があり、球技の神様なのです。だから、野球、サッカー、バスケットボール、バレーボールなど球技をしている者から必勝祈願の絵馬が、このように沢山奉納されています。京都サンガFCも監督以下全選手がお参りして、J1とJ2を行ったり来たりしているエレベータ球団を脱却して常にJ1の上位にいる京都サンガになってもらいたいものです。
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京都市上京区堀川通鞍馬口の近くに「瑞光院 赤穂浪士遺髪塔跡」があります。昭和37年に堀川通拡張工事などのために、瑞光院は山科に移転しました。赤穂浪士が吉良邸に討ち入り元禄16年2月4日に切腹する2日前に、瑞光院々主の使僧が細川等4大名に預けられている46人から、遺髪をもらい受け遺髪塔を建立したそうです。塔には46名の姓名と戒名が刻まれていますが、寺坂吉右衛門は切腹していないので刻銘されていません。この塔は、山科に現在も祀られています。
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京都市左京区東山三条のバス停前に「満足稲荷神社」があります。豊臣秀吉が、出兵に際し稲荷に戦勝を祈願、連戦連勝したので秀吉はおおいに満足したのでこの名があります。伏見桃山城にありましたが、元禄6年(1693年)に徳川綱吉が現在地に移しました。写真は、左からクロガネモチで樹齢は400年一本の幹から8本に枝分かれした特徴のある木でご神木となっています。この石は、「岩神さん」と云いこの石をさすって、頭をなでると頭が良くなり、悪いところをさすると治ると云われています。早速、頭をなでて実行したところ、良くなったと思いますよ。こんなところに「岩神さん」という石があるということを知ったのですから・・・・ みなさんもいかがですか!!
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京都市上京区百々町にある「宝鏡寺」は人形寺として知られ、臨済宗の尼門跡寺院で「百々御所」とも呼ばれています。名のとおり宮中との関係が深く皇女たちの遊び道具や光格天皇遺愛の人形などを収蔵しています。春秋の人形展以外はこのように拝観謝絶となっています。門を入るとこのような御所人形を彫った人形塚があり、武者小路実篤の『人形よ 誰がつくりしか 誰に愛されしか知らねども 愛された事実こそ 汝が成佛の誠なれ』という文が刻まれています。
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京都市右京区梅ケ畑高鼻町に浄土真宗大谷派(東本願寺)の「澄江寺(ちょうこうじ)」があります。毎年実家にお盆には住職にお参りに来てもらっています。ところが、ここにはまだ一度も来たことがなかったので、立ち寄りました。住職の奥様に案内をして頂きお茶まで出して頂きました。福王子から仁和寺を通り過ぎた周山街道(R162)から少し山手に入った静かなところにありました。
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北山杉です。手前を川が流れていて、ホッとするような長閑な風景が見られました。花粉症の人には恐怖の風景かもしれませんね。
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京都市左京区東大路仁王門に「寂光寺」があります。天正6年(1578年)に日淵(にちえん)上人により創建されました。二代目住持の日海は碁の名手で織田信長から名人の称号を贈られほどです。日海は、寺内の子院である本因坊の住職であったので、本因坊算砂(ほんいんぼうさんさ)と改名し、以後、本因坊の名称は碁界家元の世襲となりましたが、21世秀哉が引退を期に世襲制をやめて、昭和14年から現在のタイトル戦になりました。境内には第一世本因坊の碑やお墓があります。お参りすると囲碁が強くなると云われているような、ないような・・・・
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♪♪御畳瀬(みませ)見せましょ浦戸を開けて月の名所は桂浜♪ と、よさこい節で歌われている桂浜です。その桂浜を見つめているというより、日本の夜明けを見つめている坂本龍馬像です。
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高知県土佐清水市足摺岬にある足摺国際ホテルに宿泊しましたが、早朝ウォーキングで近くの白山洞門(はくさんどうもん)に案内してくれました。高さ16m幅17mの規模を誇る花崗岩でできた海蝕洞門は、日本一の規模なのだそうです。
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高知県土佐清水市にある景勝地「竜串」で足摺宇和海国立公園に属しています。砂岩泥岩が波食・風食でこのようになったものです。見残し海岸は縦の造形、竜串海岸は横の造形という違いがあります。ここも観光客は少ないようで店を閉じているのが目立ち、寂れている感が否めない観光地です。
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見残し海岸のその3。自然のトンネルが出来ていたり、綺麗な模様が描かれたお椀のようなものがあったりと、長い年月を経て自然が作った芸術を見ることが出来ました。そんなところで釣りをしている人がありました。長閑でゆったりとした時間が流れていました。
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見残し海岸のその2。年間足摺岬を訪れる観光客は約80万人だそうですが、「見残し海岸」を見る観光客はその1/5に満たないそうです。近くの足摺岬の知名度は高い(喜ばしくない事でも有名? 4/29をご覧ください)のですが、竜串・見残しの名は地元の人たちが考えているほどには知られていないようです。荒々しい足摺岬が男性的ですが、竜串・見残し海岸の柔らかい砂岩で出来た眺めは女性的な印象を受けます。
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高知県土佐清水市竜串にある「見残し海岸」です。竜串からグラスボートで行くことができます。見残しという地名は、弘法大師空海があまりの不便さから見残したということから名付けられました。約1時間の遊歩道を歩くと天然の彫刻を次々と見ることができます。
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西本願寺です。平成23年に親鸞上人(1173~1262)が亡くなって50年毎に行われる750回の大遠忌法要が行われるので、東西両本願寺とも各種の工事が行われています。御影堂の前に大きな銀杏の木が植えられています。神社仏閣には銀杏の木が植えられていますが、火災が発生したときには銀杏は水を吹き出すと言われるほど水分を含んでいるので、建物の延焼を防ぐために植えられているそうです。その御影堂の内部で皆さんがお参りしている風景です。
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高知県土佐清水市足摺岬に、四国霊場第38番札所で真言宗豊山派足摺山「金剛福寺」があります。足摺岬のすぐ傍にある札所で地獄穴は、この本堂に通じているとか。
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高知県足摺岬その2。岬の周辺はこのようなツバキが沢山植えられています。花咲く頃はさぞかしツバキのトンネルになるのでしょう。足摺七不思議というものがあって、「地獄の穴」は、このように小さい穴ですが、銭を落とすとチリンチリンと音がして落ちていく。その穴は金剛福寺の本堂のすぐ下まで通じていると云われています。そんなに深い穴なのかと恐る恐る覗くと、あとは書かない方が・・・・・ 「弘法大師の爪書き石」は、この岩肌に空海が爪で「南無阿弥陀仏」と彫ったそうですが、よくわからなかったですね。何せ爪で彫ったので今ではわからなくなっているのでしょう。
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京都市上京区堀川今出川に「白峯神宮」があります。明治元年に明治天皇が、崇徳天皇・淳仁天皇を祀るために創建されました。「黄桜」という桜が咲いていました。同じ名前の日本酒がありましたね。樹齢800年と言われるオガタマノキがありました。このオガタマノキは、京都市内の最大の木だそうです。
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高知の足摺岬です。足摺岬の観光ポスターでよく見られる「天狗の鼻」というところから見た灯台です。見下ろせば遥か彼方に波が打ち寄せていました。足摺岬といえば、田宮虎彦の小説「足摺岬」で自殺場所としても有名になってしまったところでもあります。この小説を読んだことありますか。年老いたお遍路さんが云った、「人が生きる理由など一つあれば充分なのよ」が心に残っています。
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京都市北区堀川通り北大路に、源氏物語の著者紫式部の墓所があります。パンフレットによると源氏物語の注釈本で南北朝時代に四辻善成(よつつじよしなり)が著した『河海抄』に「式部の墓は白毫寺の南、小野篁墓の西にあり」とあるので、ここに定められたとか。四辻善成は、1326年~1402年なのでこの頃には式部の墓所はあったものと推測されます。源氏物語千年紀というイベントがあったので、綺麗に整備されていると思いましたが、そのようなことはなかったようです。
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旧北桑田郡京北町、合併で京都市右京区京北上黒田町に春日神社という小さな神社があり、そこに「黒田の百年桜」という樹齢350年のヤマザクラがあります。突然変異で出来た桜で、10~12枚の八重の中に一重が混じる珍種で、紅色の大輪の花が手鞠のように固まって咲きます。突然変異のため種子ができないので、京の桜守として知られている佐野籐右衛門が、約30年に渡る研究により苗作りに成功し、「黒田の百年」と命名されたものです。
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京都市上京区千本通に真言宗「引接寺(いんじょうじ)」がありますが、京都の人は引接寺と言っても誰も知りません。「千本閻魔堂(せんぼんえんまどう)」と呼ばれているからです。本堂に本尊の閻魔大王座像と両脇に書記役の「司録(しろく)」と検事役の「司命(しめい)」の像を安置する閻魔堂があります。写真は、重要文化財である源氏物語の作者「紫式部の供養塔」、花が普賢菩薩が乗る白象の鼻のような形をしているところから「普賢象桜(ふけんぞうざくら)」と呼ばれる桜が咲いています。
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京都市上京区寺之内にある日蓮宗「妙顕寺(みょうけんじ)」です。元亨元年(1321年)に京都における日蓮宗最初の道場として創建されました。1788年の天明の大火で焼失しましたが、天保5年(1834年)に再建され今日に至っています。ここも枝垂れ桜が見事でした。ソメイヨシノは、落花盛んで風が吹く度に花びらが舞っていました。
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