ス ナ ッ プ 写 真   
 
 
 

 
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京阪電車「出町柳」駅を下車すると、鴨川沿いに咲いたソメイヨシノが出迎えてくれます。この辺りは鴨川の土手にソメイヨシノが植えられて桜のトンネルとなっています。
  (2010.04.06)
4月11日は、京都府知事選挙の投票日ですが、盛り上がりに欠けているようでこの調子だと投票率も低い感じがします。土筆が顔を出していました。時期的に遅いので、周辺はスギナが生えていました。ユキヤナギが白い花をビッシリと付けていました。
  (2010.04.04)
近くの児童公園のソメイヨシノです。七分咲きというところでしょうか。お地蔵さんの祠も新しくなっていました。新しい祠の中で、お地蔵さんも花見を楽しんでおられることでしょう。
  (2010.04.02)
二の鳥居から高畑町の志賀直哉旧居へ行く通称「ささやきの小道」と呼ばれている小道です。「下の禰宜道(しものねぎみち)」といい、春日大社の禰宜(神官)が通った道です。この道に入ると急に人も途絶えて静かで寂しい小道になります。小川の流れと小鳥の鳴き声が迎えてくれます。(動 画
  (2010.03.31)
奈良の春日大社です。藤の花が有名な大社ですので、巫女さんも頭に藤の飾り物を付けています。
  (2010.03.29)
今日の近くにある「嫁付川」のソメイヨシノです。現在二分咲きでしょうか。あと一週間もすれば満開になるでしょう。
  (2010.03.27)
奈良市春日野町に「氷室神社」という小さな神社がありました。氷室というのですから冬の氷を貯蔵して夏に朝廷に献上していたのでしょう。和銅3年(710年)平城京遷都によりこの辺りに氷池や氷室を作り、翌年から献氷の祀りを行っていましたが、平安京遷都により廃止になったようです。この神社は、貞観2年(860年)から現在地にあるそうです。
  (2010.03.25)
二月堂から東大寺へ戻る道は、絵画に出てくるようなところです。印象派のモネがキャンバスを立てている風景が見られそうな気がするところです。更に戻ると東大寺・大仏殿の建物が眺められます。
  (2010.03.23)
お水取りで有名な「二月堂」です。行ったときはお水取りの期間中だったので、このように事故防止の柵が作られていました。国の重要文化財の「閼伽井屋(あかいや)」にある井戸・若狭井(わかさい)から十一面観世音菩薩に供える「お香水(おこうずい)」を汲み上げる儀式が行なわれるのがお水取りですが、どのような井戸なのか見ることができません。松明に使用される竹がありました。随分大きなものでした。
  (2010.03.19)
片岡梅林の中に、「丸窓亭」と呼ばれている建物があります。春日大社の経庫を改造したものだそうで、鎌倉時代のもので重要文化財に指定されています。この建物に因んで、片岡梅林を丸窓梅林と呼ぶこともあるそうです。
  (2010.03.12)
片岡梅林に並んで、鷺池がありその池の中に「浮御堂」があります。浮御堂といえば堅田の琵琶湖上にあるのが有名ですよね。同じ名前でも何もなく休息所になっています。
  (2010.03.09)
奈良公園の梅も満開になっていました。公園の片隅に片岡梅林があります。丁度見頃を迎えています。この辺りを「浅茅ヶ原」といい、周辺を「飛火野(とびひの)」といいます。狼煙台があったからだそうです。奈良公園と云えば鹿ですので、鹿と梅を組み合わせて撮してみました。
  (2010.03.07)
近くの田園で建物の上で笠のような雲があり、面白そうだったので撮してみました。菜の花のような黄色い花は、春を感じさせるような暖かみがありますね。ツバキも咲いていました。
  (2010.03.04)
宇治川を上流に暫く行くと1964年11月に完成した「天ヶ瀬ダム」があります。高さ73mのアーチ式コンクリートダムで、関西電力が92000KWの発電を行っています。ダムによって出来た人工湖を「鳳凰湖」と呼んでいます。大量のゴミが漂着していることがありますが、今回はきれいに除去されてきれいな湖でした。従前は自由に散策できましたが、今は事故防止のためか検問所があり住所氏名を記帳しないと入ることができません。
  (2010.03.01)
葺きの家から目を転じると、道路を挟んで宇治川が流れています。その宇治川を、逆光で撮してみました。光加減一つで、違った表情を見せてくれます。宇治川発電所からは、波を立てて活きよいよく流れ込んでいました。 (動 画
  (2010.02.26)
宇治上神社の近くに、興聖寺(こうしょうじ)があります。紅葉の時期は沢山の人が、この琴坂を歩いていましたが、今はこのように誰もいない寂しい風景となっていました。琴坂というように小川の流れ音がよく聞こえました。
  (2010.02.23)
   
「あかりをつけましょ ぼんぼりにお花をあげましょ 桃の花・・・」 サトウハチローが作詞した「うれしいひな祭り」ですが、今年は7段飾りのすべてを出して飾りました。出すのはよいのですが、片付けるときが大変なのですよね。
  (2010.02.19)
世界遺産登録の「宇治上神社」です。左から国宝の「拝殿」(鎌倉時代)、次が国宝の「本殿」(平安時代)で神社建築として日本最古の遺構で、仁徳天皇、応神天皇、菟道稚郎子が祭神です。次が本殿の内部を撮してみました。菟道稚郎子を祭った祭壇です。
  (2010.02.17)
宇治・恵心院の周辺にも茅葺きの家があります。営業用の家でありますが、なかなか雰囲気があります。残った柿が真っ赤に熟れて夕日に輝いていました。
  (2010.02.15)
京阪宇治駅から10分程のところに「恵心院」があります。弘仁13年(822)に空海が開基しましたが、戦火に遭い寛弘2年(1005)に比叡山の恵心僧都によって再建されたので、龍泉寺から恵心院に改名しました。現在は永禄2年(1559)に建った本堂と楼門があるだけとなっています。住職の手によりいろいろな花が植えられて花の寺となっています。今は水仙が見頃となっています。(動 画もあります。)
  (2010.02.11)
「土佐藩邸跡」がありました。当時は高瀬川に面して門が開かれ土佐橋が架かっていたそうです。幕末には、坂本龍馬・中岡慎太郎・後藤象二郎・武市瑞山らが出入りしていたのでしょうね。角倉了以の碑もありました。鍬をもって厳しい顔をしていますね。その角倉了以が作った高瀬川をカモが仲良く泳いでいました。
  (2010.02.09)
   
更に高瀬川を下って行くと、「佐久間象山・大村益次郎遭難之碑」があります。佐久間は、信州松代藩の出身で儒学、朱子学を修め彼の塾から勝海舟、吉田松陰、坂本龍馬らが輩出しました。開国論を唱えて公武合体をに努めたために元治元年(1864)に刺客により暗殺されました。大村は、長州藩出身で長州藩の軍事指導者として活躍、維新後兵部大輔に任命されましたが、廃刀論で士族の反感を買い明治2年に反対派に襲われました。そして、元治元年に新撰組が潜伏していた長州・土佐藩などの尊王攘夷派を襲撃した旅館「池田屋跡」がありました。多くの人の血が流れた高瀬川は落ち葉を浮かべて静かに流れていました。
  (2010.02.06)
高瀬川の石碑その3。左から「加賀藩邸跡」。加賀藩は江戸時代の外様大名で最大の百二万八千石で前田家が代々の藩主でした。土佐藩士の武市半平太こと「武市瑞山寓居之跡」がありました。この武市半平太をモデルにした月形半平太の芝居があり、「月様 雨が・・・」「春雨じゃ、濡れてまいろう」という台詞が有名ですよね。次が、「吉村寅太郎寓居祉」です。武市半平太に剣術を学び尊攘倒幕思想の影響を受け、天誅組を組織して倒幕の兵を上げましたが、文久3年(1863)大和吉野で戦死しました。
  (2010.02.04)
高瀬川沿いには、歴史的に著名な石碑が数多く存在します。左から高瀬川を開拓した角倉了以の邸宅があったところ、「桂小五郎・幾松寓居祉」とあるので桂(後の木戸孝允)と芸者幾松(後に桂と結婚して木戸松子)が一時身を寄せたところのようです。その奥に「幾松」という料理旅館があります。
  (2010.02.01)
高瀬川の船入は、一之船入が史蹟として残っていますが、一があれば二・三・・・とあるのが当然、どこにあるのだろうと以前から思っていたので、今回それを探して見ました。やはりありましたが、跡として石碑があるだけなのは当然のことでしたが、この石碑は何と昨年の11月に設置された真新しいものです。七之舟入跡まで見つけましたが、次回は最後まで見つけようと思います。船が舟に変わっていますが、何か意味があるのでしょうか。
  (2010.01.29)
高瀬川は、江戸時代に角倉了以によって作られた伏見と京都中心部を結ぶ運河です。大正時代までの300年間利用されました。史蹟である「一之船入」は、荷物の上げ下ろしや舟の方向転換のために作られました。森鴎外の小説「高瀬舟」でも有名です。高瀬川が流れる木屋町は、祗園、先斗町と並んで歓楽街で、高瀬川はネオン川となり春の桜が綺麗なところでもあります。
  (2010.01.27)
鴨川の水鳥その2。鴨川に最も多い水鳥はやはり「ユリカモメ」ですが、今では当たり前に見られますが鴨川に飛来するようになったのは1974年からだそうです。(動 画)そして、サギもよく見受けられます。
  (2010.01.25)
冬の鴨川は、水鳥にとって絶好の餌場なのか沢山やって来ます。逆さまになって餌をとる姿は微笑ましいもので、思わずシャッターを押しました。(動 画)鴨川を渡られるように飛び石があります。子供たちが渡っていました。
  (2010.01.23)
   
かやぶきの里に行く途中に「蓮如の滝」がありました。案内板によると浄土真宗中興の祖と云われる本願寺八代蓮如上人(1415~1499)は、文明7年(1475)8月に当地を訪れ対岸の茶店の石に座ってこの落差70mの滝を絶賛したそうです。この時より蓮如の滝と呼ばれるようになったとか。
  (2010.01.21)
「かやぶきの里」その3。京都府南丹市美山町ですが、美山村という感じがする風景が展開しています。村といえば、裏山があり、村のお地蔵さんがあり、赤い柿の実が風に揺れているという、イメージがあったので、それを撮してみました。
  (2010.01.19)
  
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