ス ナ ッ プ 写 真   
 
 
 

 
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登り出して30分ほどで笠置寺に到着。梵鐘は、「解脱鐘」といってこの写真では分かり難いですが、下の部分が6カ所切り込みがあるという意匠は、日本ではここにしかないという珍しいもの。建久7年(1196年)の作という。この灯籠は、笠置型灯籠と呼ばれて平安時代には参道に立てられていたそうですが、書物に記載はあるが現存するものはなく資料もなかったが、インターネットで資料を求めたところ愛知県岡崎市の石材業者が、大正時代に発行した本に寸法などの記載がありこのように復元されたそうです。
 (2011.04.24)
笠置山(標高290m)にある「笠置寺」を目指して山道を登りました。その途中の風景を撮して見ました。
 (2011.04.22)
笠置駅から少し行くと木津川の河川敷に行く道があります。河川敷は駐車場とキャンプ場になっていて入場料300円徴収されました。車を止めて施設を利用している人から300円はわかりますが、ただ桜を見に来た者にも同額を取るとは不公平感があります。ここも焼き肉の匂いが漂っていました。
 (2011.04.20)
府下笠置町へ桜を見に行ってきました。JR城陽から木津へ、乗り換えて加茂に、更に乗り換えて笠置にやって来ました。加茂からはディーゼルのワンマンカーでした。駅前には、「太平記 元弘の乱 笠置の合戦」のモニュメントがありました。後醍醐天皇が北条鎌倉幕府と戦った乱でしたよね。ホームを出ると満開のソメイヨシノが迎えてくれました。
 (2011.04.18)
淀川河川公園「背割堤」その2。名前は知りませんが、一本だけこのように花が大きくて白色をした桜がありました。そして枝垂れ桜も一本ありました。それ以外はすべてソメイヨシノです。
 (2011.04.16)
八幡市の淀川河川公園「背割堤」の桜並木は、この周辺では最も見ごたえのある桜の名所ではないでしょうか。川の流れと桜など絵になる風景が展開しています。広い河川敷があると御多分に漏れず、ここでも、焼き肉をやっている人が多くその匂いが一面に漂っていました。せっかくの満開の桜を愛でる人には興醒めの光景です。
 (2011.04.14)
この時季に「久世神社」に来たのは初めてですが、城陽市内の神社の中でこの久世神社の桜が一番見事なのではないでしょうか。神社の前の道路は、少し登り坂となった普通の舗装道路ですが「鷺坂」といって 『山城の 久世の鷺坂 神代より 春ははりつつ 秋は散りけり』 と飛鳥時代の歌人、柿本人麿が詠んでいて万葉集に収められています。
  (2011.04.12)
近くのあまりきれいでない川の「嫁付川」ですが、今年もソメイヨシノが満開になりました。ここのソメイヨシノは若木なので年々大きくなって立派になっていくので、毎年咲くのを楽しみにしています。川がもっときれいになり魚が住めるような川になってもらいたいものです。嫁ですから、いつまでも若くてきれいであってほしいものですよね。嫁付という名の謂われをご存じの方はおられませんか?
  (2011.04.10)
大阪千日前と言えば「なんばグランド花月」があります。大阪の笑いの殿堂です。その向かいに吉本の芸人さんをモデルにした人形焼きの店がありました。何でも商売にする大阪商人のど根性でしょうか。肖像権というものがあるので使用権を取得しているのでしょうね。ここで、西川きよしさんが義援金の募金活動をやっておられました。
  (2011.04.04)
   
桜も咲き出してきました。近所の児童公園の桜です。お地蔵様も、咲き出した桜を見てきっと喜んでおられることでしょう。
  (2011.04.04)
大阪の日本橋に、オーディオ用のケーブルを買いに行った帰りに道頓堀界隈を散策してきました。法善寺横丁の先に有名な水掛不動があります。歌に出てくるような「こいさん」がお参りしている風景には出会えませんでした。ビッシリと苔に覆われている水掛不動ですが、素顔を見た人はいるのでしょうか。
  (2011.04.01)
近鉄久津川駅から国道24号線を横断してJR奈良線との間に「平川廃寺跡」があります。案内板によると創建は奈良時代中頃(8世紀中頃)で寺域は東西175m南北115mと推定され、平安時代初めに火災により焼失しましたが再建されなかったようです。1975年に南山城地域の奈良時代を代表する寺院として国指定の史蹟に認定されました。梅が一枝咲いているのが郷愁を誘います。
  (2011.03.30)
梅林に行く途中に、旦椋神社(あさくらじんじゃ)がありました。初めて行く神社です。本殿に行く参道にこのような注連飾り??がありました。どのような意味合いがあるのでしょうか?本殿は桃山時代の華やかさがあるそうですが、本殿保護のために覆いの屋根があり本殿をよく見ることができません。
  (2011.03.28)
青谷梅林の梅三題です。梅はバックの青空によく映えます。
  (2011.03.25)
梅林の中程には、花などの苗、飲食品の売店などもあります。また、紙芝居もやっていました。「黄金バット」という聞いたことあるような無いような昔々の紙芝居をやっていました。30数巻の続き物だそうですが、昔は印刷されたものでなく作者の直筆によるものを、多くの紙芝居屋の間を巡回していたので現在では全巻そろっていないそうです。
  (2011.03.23)
「京都の春は城陽から」というキャッチコピーがあります。その春を代表する青谷梅林に行きました。良い天気だったので暖かく多くの家族連れで賑わっていました。梅の香りが一面漂っていました。
  (2011.03.21)
道の駅の傍に「楠公(なんこう)誕生地」という石碑がありました。楠木正成は、永仁2年にこの地で誕生したと伝えられています。やはり周りは楠の大木で覆われていました。まぁ銀杏や松の木だったら違和感がありますよね。
  (2011.03.19)
「楠公産湯の井戸」というのがありました。楠木正成(1294~1336)が、この井戸水を産湯に使ったと云われているそうです。これは井戸ではないですね。水溜まりという感じです。当時は井戸だったのでしょうか。
  (2011.03.17)
更に歩いていくと「建水分神社(たけみくまりじんじゃ)」がありました。創建は、崇神天皇5年(紀元前92年)という古い神社です。鳥居に額がありますが、延元5年(1340年)に楠木正行が奉納した木額が消耗してきたので、宝永2年(1705年)に金銅製にて模造され、文字は大納言・藤原頼孝だそうです。この鳥居を潜り石段を登っていくと、このような拝殿がありますが、本殿には更に石段を登らないと行くことができませんが、その先には行くことができません。木立の間からこのような本殿の一部が見えました。
  (2011.03.15)
千早赤阪村を少し歩いてみました。自然が豊富なところらしくこのような注意を促す看板がありました。歴史を感じさせる民家もあり、道端にも昔からの信仰を伺わせるものが点在していました。
  (2011.03.13)
   
この水仙の丘に、「奉建塔(ほうけんとう)」というものがあります。延元元年5月の湊川の戦いで戦死した楠木正成の没後600年を記念して昭和15年に完成したそうです。御影石で作られ43尺(13m)の高さがあります。43尺は楠木正成の戦死したときの年齢だそうです。振り返ると、春霞に焚き火の煙が漂う段々畑の風景が、目に飛び込んできました。
  (2011.03.09)
5万本の水仙が咲いているという新聞記事を見て行ってみる気になり車でやって来たのですが、5万という数字に自分勝手に咲いている風景を膨らませているので、実際に見てみるとこんなものかとやや落胆することが多いですね。実際5万本もあるのでしょうか。数えた人いますか?
  (2011.03.06)
大阪のただ一つの村である千早赤阪村に「水仙の丘」と呼ばれているところがあります。斜面を利用してそこに水仙が5万本ほど植えられています。行ったときは天気も良く見物客が多く駐車場も満杯で路上駐車して見てきました。(動 画
  (2011.03.01)
五条大橋は、牛若丸と弁慶が出会った所として有名ですが、その二人の御所人形風の石像が五条大橋西側の中央分離帯にあったのですが、今は傍の小さな公園に移されていました。下水道工事によるものだそうですが、また元の場所に戻るのでしょうか。
  (2011.02.25)
京都市下京区鍛冶屋町に「鉄輪井戸(かなわのいど)」があります。入口は民家の玄関のようになっていますが、入ると細い路地があり、このような祠があり井戸があります。 謡曲『鉄輪(鍋やヤカンを乗せる三本足の五徳をそう呼んだ)』によると、この辺りに住む女が自分を捨てて後妻をめとったことを恨み、貴船神社に丑の刻詣りをしていると鉄輪を頭に乗せ三本足に火をともすと鬼になれるとお告げがあった。それ以来男は悪夢に苦しみ祈祷してもらうと女の鬼が現れるが祈祷により苦しみながら去っていった。遂にこの井戸辺りで息が絶えたということです。 この伝説から、この井戸水を別れたい者に飲ませると後腐れなく縁が切れるということです。なお、この井戸は地下鉄工事の影響で現在は涸れていますが、ペットボトルに水を入れてきてここに供えて持ち帰ると同じ効果があるそうですよ。心当たりのある方は、ペットボトルの水には注意しましょう!!
  (2011.02.19)
西京極という地名は現在もありますが、東京極は残っていませんがこの新京極が東京極であったと言われます。都が鴨川を越えて東に発展したので、都の東の端である東京極でなくなったので新京極になったとか。四条通の入口のところに「染殿院」がありました。大同3年(808年)空海を開基として創建されたそうですが、現在の建物は、元治元年に京都御所以南が大火になった時に建てられたものだそうです。安産の腹帯が授与されます。
  (2011.02.15)
天気予報どおり山間部だけでなく平野部でも雪になりました。城陽市も積雪になるほど雪が降っています。今冬初めてのことです。午前9時の我が家から見た周辺の状況です。
  (2011.02.11)
誠心院の近くに「錦天満宮」があります。ご存じ菅原道真を祀った学問の神様です。今は受験シーズンですから参拝者も多いことでしょう。ここで有名なのが鳥居です。鳥居の先はビルの壁にピッタリと引っ付いています。それどころか先はビルの壁を突き破って中にあるのです。昭和10年頃にこの鳥居は出来たのですが、その当時も先は民家の屋根と重なっていたそうです。ビルが建てられたとき、移築したり先を削ることなくそのまま取り込んでしまう発想は、神社仏閣と共存共栄している京都の人の心意気が解ろうというものですね。
  (2011.02.10)
   
京都の繁華街のひとつに「新京極」がありますが、いろんな店が軒を並べている中に神社仏閣があちこちにあります。誠心院もそのひとつですが、和泉式部の墓所がある寺でもあります。この石塔は正和2年(1313年)に改修建立されたもので、高さが約4mもある大きなものです。
  (2011.02.07)
   
三条小橋に新撰組が一躍その名を馳せた池田屋騒動がありますが、その池田屋旅館があったところにこのような石碑があります。元治元年(1864年)6月5日に池田屋に集まっていた長州藩を新撰組が襲った事件ですが、これにより明治維新が1年遅れたと言われています。主人の池田屋惣兵衛は捕らえられて獄死、旅館はそののちに廃業。その後、昭和の初めまで佐々木旅館がありましたがこちらも廃業。現在はこのような居酒屋池田屋になっています。三条大橋の擬宝珠には、その時に付いたといわれる刀傷がこのように残っています。
  (2011.02.03)
  
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