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海住山寺に向かう道すがらに見事に紅葉した木々があったので、車を止めて撮してみました。今年の紅葉は一段と色鮮やかでした。
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蟹満寺の向かい側に、綺原神社(かんばらじんじゃ)がありました。小さな神社ですが、日本書記にも登場する歴史のある神社だそうです。現在は、菅原道真を祭神とする神社です。
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カニが美味しい季節になりました。古今物語にある「蟹の恩返し」という民話が伝わっている木津川市山城町綺田浜にある「蟹満寺」に行きました。真言宗の寺院で、飛鳥時代後期の釈迦如来坐像(国宝)が本尊です。山陰方面に蟹を食べに出掛ける方は一度はここにお参りにどうぞ!
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かやぶきの里の道端に咲いていた花を撮してみました。
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茅葺き屋根には、家紋が掲げてあります。違う地域では防火の願いか「水」と掲げてあるところもありますが、ここは家紋を掲げるようです。燃料の薪が積まれてありました。面白い造形をしています。
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この建物は資料館になっていて有料ですが内部を見ることが出来ます。風呂と屋根裏ですが昔の生活が偲ばれます。囲炉裏もありましたが、現在は茅葺き屋根だけで内部は大きく変化していて囲炉裏ではなく、石油ストーブだそうです。だから昔は囲炉裏の煙が茅葺き屋根を保護したので40~50年は保ったが、今は20年ぐらいしか持たないとか。化石燃料は、便利だけれど失うものも多々あるということです。
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かやぶきの里の風景。茅葺きの家の前にはこのような放水銃が設置されています。火災が一番怖いですから当然の設備でしょう。
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京都府南丹市美山町にある「かやぶきの里」に行きました。50戸ほどの山村集落ですが、そのうち38戸が茅葺きの屋根になっているところです。郵便ポストも昔ながらのもので、ここにはとても似合います。そして村のお地蔵さんがありました。
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銀閣寺から散策の終点は、インクラインで桜の名所の一つです。このような状態で保存するのではなく動態保存できないのだろうかと思う。インクラインを動かして琵琶湖をスタートして疎水巡りをしたら、多くの観光客が来るように思えるのですが・・・
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南禅寺から、インクラインに向かう参道の奥まったところに西福寺がありますが、ここに雨月物語の作者である上田秋成のお墓があります。上田秋成は江戸時代後期の読本作者、俳人、歌人、茶人、国学者等多くの肩書きを持った文化人です。雨月物語は、映画化、テレビ化されているのでご覧になった方も多いことでしょう。
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熊野若王子神社から永観堂・東山高校を過ぎると南禅寺があります。日本三大門のひとつの三門は、歌舞伎「楼門五三桐(さんもんごさんのきり」石川五右衛門の台詞「絶景かな、絶景かな」で有名ですが、実際は五右衛門が死んで30年後に完成した門だそうです。その門の傍に高さ6m程の石灯籠がありますが、大きさでは日本一の石灯籠だそうです。
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銀閣寺から2kmほど歩くと「哲学の道」の終点、熊野若王子神社(くまのにゃくおうじじんじゃ)に着きます。熊野神社、新熊野(いまくまの)神社と共に京都三熊野に数えられています。永暦元年(1160年)に後白河法皇が熊野権現を勧請して建立。祭神は天照大神で、社名は大神の別名「若一王子」に由来するそうです。
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橋に座って絵筆を奔らせている人、その足下にはオシドリが仲良く泳いでいました。そんな光景を紅葉した桜が眺めていました。秋の日の一コマでした。
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昔と比べると哲学の道も随分変わったものです。この近くの北白川小学校に行っていましたから帰りにここに何度か来ましたが、当時はこのような石畳の道など無く普通の地道の単なる田舎道でした。今はいろいろな店舗が並んでいますが当時は一軒もありません。銀閣寺から若王子神社までの哲学の道で一番右の写真の白壁が見える風景が、記憶に残る当時の姿をそのまま残している唯一の風景で、後はすっかり変わってしまいました。
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銀閣寺近くに行ったので、久し振りに「哲学の道」を歩いてみました。春の桜の時期はいっぱいの人出になりますが、秋は春ほど見るものがないので人は少ないと思っていましたが、土日はそうでもなさそう。
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東大寺大仏殿に行きました。ここに来るのは久し振りのことです。一本の柱がこのようにくり抜かれています。大仏の鼻に穴と同じだとか。寸法は、縦37cm 横30cm 奥行き108cmです。ここを通り抜けるといろいろなご利益があるそうです。
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奈良の東大寺に行きました。東大寺は世界遺産に登録されています。奈良公園と言えば鹿、東大寺と言えば大仏殿、誰ものが思い浮かぶ奈良のイメージですよね。
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「かざりや」の向かいに「いち和」があります。かざりやは本家、いち和は元祖と言っています。せっかくだからこちらにも・・・あぶり餅のハシゴをしました。味には大差はありませんが、微妙に違いはあります。
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今宮神社に行けば、門前にあるお茶屋で名物の「あぶり餅」を食べなきゃ・・・ ということで、「かざりや」という店に入りました。甘い味噌ダレで炭火で焼いているので香ばしいものでした。これで500円です。
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北区紫野にある「今宮神社」に行きました。やすらい人形があり名前を書いて自分自身の病を人形に移して納めます。この石は、「重軽石」で三度叩いて持ち上げると重くなり、今度は願いを込めて三度撫でて持ち上げると軽く成れば、願いは成就するといわれています。
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京都市北区衣笠にある「敷地神社」行きました。といっても??の人が多いと思います。わら天神のことです。安産の神様として知られていて、安産のお守りの中に藁がありその藁に節があれば男の子、無ければ女の子が生まれると言われていますが、藁に節があったので男の子というのは見事に当たりました。
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木津川市加茂町にある「恭仁宮跡」のコスモスを見に行きました。天平12年(740年)聖武天皇の勅命により平城京から遷都されましたが、都として完成しないまま4年後には難波京に遷都されたました。跡地は、山城国分寺として再利用されたという恭仁宮です。そんな歴史を背負いながら、コスモスは秋風(動 画)に揺れていました。
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弘法大師・空海が高野山を開いて、その表参道に道標として立てられたのが、町石で109m毎に180基立てられました。この道は2004年7月7日世界文化遺産として登録されました。次は弘法大師が、休憩のために腰掛けたと伝えられている「大師腰掛け石」です。次が、「姿見の井戸」がありました。今でも水はあります。
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左から豊臣秀吉、次が織田信長(左側の小さいものが筒井順慶)、そして赤穂藩主だった浅野内匠頭です。高野山攻めを模索した信長があるのは、寺院の懐深い所以でしょう。
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高野山金剛峯寺奥の院の続きです。有名な武将の墓所ですが、左から武田信玄、石田三成、明智光秀です。○○家というものと比べれば規模がだいぶ違うようです。
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昨日、孫が行っている保育園で運動会がありました。2歳児なので徒競走といつも遊んでいる道具を使って遊ぶのを見るだけでしたが、笑顔で走り回っているのが何とも微笑ましいものでした。
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高野山奥の院の入口に着きました。奥の院は、戦国時代などの武将の墓碑が数多くありますが、まず目に入ってきたのが、加賀藩前田家のものでした。
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奥の院に向かう道すがらの風景を撮してみました。修行僧の一団が通り過ぎて行きました。弘法大師・空海が開いた高野山らしい風景の一コマでした。
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各家庭に家紋がありますが、金剛峯寺の寺紋は通常一つなのに二つもあります。豊臣秀吉拝領の清厳寺の寺紋の「五三の桐」、高野山の鎮守、天野神社の定紋の「三頭右巴」があります。この二つの紋はどのように使い分けているのでしょうか。 真然大徳廟がありました。真然僧正は、弘法大師の甥で高野山第二世として高野山の発展に寄与した人物だそうです。
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金剛峯寺の渡り廊下を更に進むと「蟠龍庭(ばんりゅうてい)」という500坪のわが国最大の石庭があります。勅使門から見ると、左に雄龍、右に雌龍があるという案内板に書かれてありましたが、もう少し高いところから全体を見ないとよくわからないというのが本当のところです。(動 画)
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