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水郷もこのように広いところもありました。先の台風で増水して樹木が根こそぎ倒れています。
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近江八幡水郷めぐりをしました。ヨシが一面生い茂っている水郷を90分、手漕ぎの和船でのんびりとした時間を過ごしました。
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滋賀県近江八幡市にある「八幡堀」です。時代劇の撮影によく登場する場所です。その近くにあったカフェですが、なかなか趣がある建物でした。
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近くの保育園で、運動会がありました。徒競走と日頃遊んでいることを見せるといったものが主でしたが、園児たちの笑顔がいっぱいの運動会でした。
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足元を見ると瓦の破片が沢山散らばっています。当時の城の瓦だそうです。城壁はご覧のように相当の高さがあり誤って転落すると大怪我になりますが、そのような事故が起こらないようにガードレールや柵を設けるところが多いですが、ここは何もありません。自然のままになっています。有名になり観光客も多くなっているようです。10月1日から有料化されましたが、今のままの状態で維持管理されることを願いたいものです。
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竹田城跡を上から撮してみました。石垣は崖の上に作られていて典型的な山城になっています。
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ここの石垣は、穴太(あのう)積みと呼ばれるもので、現在の滋賀県大津市坂本穴太の石工衆の技術です。原石を加工せずそのままの状態で積み上げる施工方法なので、経年劣化に強いのが特徴とされています。
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標高353.7mにある山城の竹田城跡は、秋の朝方の雲が低いときは雲海の上に竹田城跡が見える時があるそうで、「日本のマチュピチュ」と呼ばれています。行った日は快晴で、そんな幻想的な風景は見られませんでした。(動 画)
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先日の大雨で流れ橋はこのような無残な姿になっています。ゴミが橋桁のところまで着ています。広い木津川なのにここまで水が来たことは恐ろしいことです。普通はこのような流れなのに・・・・ これで3年連続の20回目の流失です。
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竹田城跡は、全国屈指の山城遺構で国の史跡に指定されています。JR播但線竹田駅の西方、古城山(標高353.7m)の頂上部に竹田城はあります。嘉吉年間(1441-1444)守護大名の山名宗全の家臣の大田垣通泰によって築城されました。
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竹田城跡へは、始めは舗装道路が続いていたので観光地化されていると思ったのですが、途中から普通の山道になってきました。遠くの町並みを見ると竹田城は山城であることがよくわかります。そして、城の石垣が遠くに見えて来ました。
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今夜は、中秋の名月です。中秋の名月が満月になるのは、なかなかないそうですね。次は2021年だそうです。東京オリンピックの翌年ということです。
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兵庫県朝来市和田山町にある「竹田城跡」に行きました。駐車場の目の前にこのような門があり舗装した道が続いていました。途中このような岩が迎えてくれました。
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明治9年(1876年)に、生野製鉱所が完成しその正門として設置されました。明治22年に皇室財産となり明治29年に三菱合資会社に払下げ、昭和45年に坑道が岩盤の圧力により突然崩壊する「山はね」現象が起こり、昭和48年についに閉山という明治以降の歴史を見守った菊の紋がある門柱です。
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生野銀山には露天掘りの跡もあります。昔は、ここを発見した後に地中に堀り進みました。江戸時代の坑道入り口もこのように残っていました。そして、戦国時代江戸時代に鉱夫たちが仕事の合間に坑内の安全を念じて、彫った南無阿弥陀仏と仏像だそうですが、風化していてよくわかりませんでした。
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坑内に一カ所滝があり豊富な水が流れていました。(動 画)このような湧水を放置すれば坑内が水没するので、昔も今もその対策が大変なことだろうと思います。
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銀山といえば、世界遺産に登録された「石見銀山」がありますが、見学できる坑道は生野銀山の方が長く規模も大きいのです。何故、石見銀山は世界遺産で生野銀山は何もないのかということですが、その違いは石見銀山は大正年間で休山になりましたが、生野銀山は昭和47年まで掘削され近代化されました。石見銀山は近代化されずに昔の姿が町全体に残っているという違いが、世界遺産か、そうでないか、の分かれ目なのです。
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あちこちに、人が這って通った江戸時代の坑道に「狸堀り」のノミの跡が残っています。狭いところをノミで掘れば一日で何cm掘れるのでしょうか。江戸時代の過酷な労働が偲ばれます。
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ここが観光用坑道の入り口です。坑道の総延長は350km、深さは880mだそうです。坑内の気温は年間を通じて13度で涼しいと言うより寒かったです。
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兵庫県朝来市生野町にある史跡「生野銀山」に行きました。大同2年(807年)に発見され、天文11年(1542年)になって銀鉱脈の本格的な採掘が始まりました。昭和48年(1973年)に閉山となり1100年間に渡って採掘された生野銀山です。
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人気の新幹線「ドクターイエロー」です。「新幹線電気軌道総合試験車」というそうで、線路や架線の状態、電気的信号等を計測しながら、新幹線の状態を総合的に診断する業務用の車両のことです。これを見ると幸せになれるという列車ですが、走っている日時は発表されないという秘密の列車なので、更に人気が高まっているようです。
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大井川鉄道旅行に行った時の宿泊に利用したホテルです。このような結婚式場も併設されています。ホテルから見た浜名湖です。
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お墓参りに、東本願寺の大谷祖廟に行きました。今年は「俱会一処(くえいっしょ)」という花文字でした。『仏説阿弥陀経』というお経にある言葉だそうで「俱(とも)に一つの処(ところ)で会う」生きている者と亡くなった人と極楽浄土でともに会うという意味です。極楽浄土で会うということは、早く浄土に来いということではなくて、この世で果たすべきことを終えるまで、信頼して待っているということです。お盆らしい言葉だと思います。
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長島ダムです。多目的ダムとして建設されました。南アルプスあぷとラインは、ダム建設のための資材運搬用として作られた鉄道を観光用として再利用されたものです。途中、駅が沢山あるので観光だけではないようです。
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「アプトいちしろ駅」から「長島ダム駅」間が日本で唯一のアプト式鉄道になっています。写真のように線路の真ん中に歯形のレールがあり、それにアプト式機関車を接続
(動 画)することにより、1000m進むのに90mの高さがある急勾配を運行することができます。
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大井川鉄道は、金谷駅から千頭駅までの大井川本線と、千頭駅から井川駅までの井川線があります。この井川線は「南アルプスあぷとライン」と呼ばれています。
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千頭駅で、蒸気機関車からトロッコ列車に乗り換えました。嵐山から亀岡間を走っているトロッコ列車と同じようなものでした。
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この蒸気機関車で、新金谷駅から千頭(せんず)駅まで乗りました。蒸気機関ですから冷房など無いから暑かったですが、窓から入る石炭の香りを乗せた風は、意外と涼しく思ったものです。車窓から大井川が眺めることができます。(動 画)
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大井川鉄道の蒸気機関車です。
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大井川鉄道のSLを乗りに行きました。写真は、JR浜松駅前、大井川鐵道及び改札前です。浜松は徳川家康の出身地、出世大名家康くん、出世の街浜松、と言ったモニュメントがありました。
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