ス ナ ッ プ 写 真   
 
 
 

 
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長浜の街を歩いてみました。城下町らしい風景があちこちで見られます。信号機もこのようなものになっていますし、商店街のアーケードの入口にもこのようなものが掲げられています。近頃は、シャッターが下りたままの「シャッター街」が多いと言いますが、ここはそのようなことはありませんでした。
  (2015.03.27)
蒸気機関車が展示されていました。有名なディゴイチ、D51型で運転台も見ることができます。そして旧長浜駅29号分岐器ポイント部で、イギリスのキャンメル社から輸入されたものです。明治15年3月から約80年間使用されたもので現存する最古のものだそうです。
  (2015.03.25)
盆梅会場の慶雲館の向かいに旧長浜駅舎がありました。長浜~敦賀間の起点駅として明治15年(1882)に完成しました。車両は、今は普通車とグリーン車に分かれていまうが、当時は待合室まで等級に分かれていたそうです。そして長浜駅長室の机です。
  (2015.03.23)
小鉢から大鉢まで毎年これだけの花を咲かせようとすると、剪定から植え替えなどの維持管理が大変だろうと思います。好きでなければ出来ないことだと思います。
  (2015.03.21)
小品盆栽だけではありません。身の丈程の盆栽も数多くありました。
  (2015.03.19)
会場に入ると赤い毛氈と金屏風をバックにした盆栽の梅がありました。バックがキラキラしていると梅も大分感じが変わるものです。小品盆栽も趣向があっていいものです。 
  (2015.03.17)
早速盆梅を見に長浜駅からすぐのところにある会場の「慶雲館」に行きました。明治20年(1887)2月21日明治天皇の休憩所として長浜の豪商・浅見又蔵が私財を投じて建設したものだそうです。休憩するだけなのにこれだけのものを建設するとは今では考えられないことです。慶雲館は、同行した初代首相の伊藤博文の命名です。庭園は、小川治兵衛によるものです。この「大灯籠」は推定20トンだそうで滋賀郡志賀町から湖上を船で運んだと言われています。力士像は、明治後期の横綱「常陸山」でこの頃は「梅ケ谷・常陸山」時代で空前の黄金期で両国国技館建設のきっかけとなったとか。稀に見る教養人だったそうで「角聖(かくせい)」と呼ばれました。耳の痛い今の相撲界関係者も多いのでは・・・・この常陸山を贔屓したのが浅見又蔵でした。
  (2015.03.15)
滋賀県長浜市で開催されている「長浜盆梅」を見にJR新快速で行きました。長浜駅は、城下町らしい雰囲気のある駅舎でした。
  (2015.03.13)
紅白のナンテンです。白色のナンテンは珍しいのではないでしょうか。
  (2015.03.10)
ミツマタの花と名前の由来の三つに分かれた枝(三股)です。そしてツバキの花です。
  (2015.03.08)
蝋梅が満開になっていました。やはり黄色は暖かさを感じさせますね。樹木の根元に咲いていた水仙」ですが、木肌の荒々しさと可憐な水仙です。 
  (2015.03.06)
宇治橋を渡って対岸にある「恵心院」に行きました。花の寺と呼ばれているように、四季それぞれの花が狭い境内ですが、参拝者の目を楽しませてくれるところです。今は、「水仙」のシーズンですが、今年は花が少ないです。
  (2015.03.04)
鎌倉時代の春日型の石灯籠で、灯籠各部の欠損はなく当初のものが完全に残る鎌倉時代の唯一のもので、奈良・春日大社参道にある石灯籠と同じ型です。「求世船乗観音」で旅の安全を祈る旅人やその家族、航海の無事を祈る人、人生の長い旅路として生涯の無事を祈る人たちの信仰を集めていましたが、戦後、盗難に遭い復元されたものです。本物は今どこに・・・・ 石造層塔でこれも鎌倉時代で378cmあります。花崗岩で作られています。
  (2015.03.01)
少し小高いところへ登ると鐘楼がありました。ここの鐘は一面に見事な彫刻が施されていました。
  (2015.02.27)
鳳凰堂の伽藍を見ると名前の由来となった鳳凰が燦然と輝いていました。鳳凰堂内の国宝である阿弥陀如来が対岸からこのように眺められます。 
  (2015.02.24)
鳳凰堂です。天喜元年(1053年)に建立された阿弥陀堂で、創建以来幾度の戦火から奇跡的の免れている世界遺産、国宝の鳳凰堂です。前面にある池が戦火から守ったのでしょう。(動 画
  (2015.02.19)
更に行くと平等院のメインで、10円硬貨の図柄でお馴染みの鳳凰堂が見えてきます。昨年秋に2年振りに修理が完成したので、色鮮やかになっていると思ってきたのですが、予想に反して修復前の色合いで修理されていました。
  (2015.02.17)
平等院に着きました。拝観料600円を支払って庭園に・・・・ 途中に「扇之芝」というところがありました。治承4年(1180年)5月26日源頼政は平家追討の兵を挙げましたが、宇治川で平知盛の大軍に追撃され流矢に傷ついた頼政は「埋れ木の 花咲くことも なかりしに 身のなる果てぞ 悲しかりける」と辞世の一首を残し、その地で自刃したと伝えられています。
  (2015.02.14)
平等院表参道の入口には大きな鳥居があります。鳥居を潜って行くと平等院を経て天瀬ダム方面に続いています。左の道を行くと宇治茶の店が軒を並べています。その途中に藁葺き屋根の建物が一軒ありました。
  (2015.02.12)
更に行くと宇治橋があります。橋のたもとに紫式部の石像があります。源氏物語宇治十帖の「夢の浮橋」の舞台となったところです。その横に明治天皇がここに来られた記念の石碑がありました。ここから平等院への表参道になっています。 
  (2015.02.09)
自転車で宇治方面に運動を兼ねて行きました。宇治と言えば宇治茶ですが、店は閉まっていましたが昔ながらの佇まいに思わずパチリ・・・ 判別為難い看板、格子が印象的でした。
  (2015.02.07)
マクロレンズで撮した京都府立植物園の温室植物の花その4です。
  (2015.02.04)
 マクロレンズで撮した京都府立植物園の温室植物の花その3です。
  (2015.02.01)
マクロレンズで撮した京都府立植物園の温室植物の花その2です。
  (2015.01.30)
京都府立植物園の温室植物の花をマクロレンズで撮してみました。アップ写真も面白いものです。
  (2015.01.23)
水度神社本殿ですが、ここから参拝するのですが裏に回るとこのような扉があり、しめ縄があります。ここからも参拝する人も多いらしくお賽銭が沢山ありました。密やかにお参りする感じがします。
  (2015.01.16)
次に行ったのが、「平井神社」です。久世神社より更に人は少なく町内の人だけが参拝しているような感じでした。鳥居からの参道には、例年なら初詣という幟があったのですがそれも今年は無かったです。
  (2015.01.13)
正月の遊びと言えば昔から「凧揚げ」です。ということで洋凧を揚げました。和凧と違って簡単に揚がりますね。和凧は紙の尾を付けないと回転したりしますが洋凧はそれもない。和凧は、糸を操作することで凧をコントロールできる面白さがありますが、洋凧はただ揚がるだけで面白みに欠けます。
  (2015.01.08)
次に行ったのが、「久世神社」です。水度神社より人はグッと少なくなりますが、社殿は室町末期の建物で明治39年に重要文化財に指定されるという由緒ある神社です。祭神は「日本武尊」です。いつもは無人の神社ですが、車の整理に警備員まで配置されていました。
  (2015.01.06)
今年も初詣に出かけました。水度神社(みとじんじゃ)は城陽市内では一番大きな神社で人出も多くこのように拝殿までズラリと順番待ちの行列が出来ていました。焚き火がありました。暖かいですね。今は道路は舗装され焚き火などできませんが、昔は近所の老若男女が集まって焚き火をやったので、世代を超えてコミュニケーションが図られたものでしたが・・・・ 
  (2015.01.03)
  
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