ス ナ ッ プ 写 真   
 
 
 

 
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宇治市にある「宇治市植物公園」に行きました。京都府立植物園と比べるとだいぶ規模は小さいですが、家から近いですから行ってみました。まず行ったのは温室です。左からラン科の「アガナックス エバズブルー」、中央が同じくラン科の「シャーリー ベイビー」で花は甘い香りがします。 
  (2015.06.02)
   
この石塔は、平安朝時代のもので「めかくし石」と呼ばれていて、目隠ししてこの石を完全に抱くことができれば、所願成就だそうです。重要文化財の鐘楼で源頼朝の寄進と伝わっているそうですが、鎌倉時代後期のものだそうです。
  (2015.05.30)
再び石山寺です。池の中心に建てられた小さな社は、八大龍王社で石山寺の歴海(れっかい)和尚が岩に座ってお経を読むと池の中から竜王たちが現れて、和尚のお経を聞き読み終わると和尚を庵まで送って行ったと伝わっています。和尚が座った岩というのが次の写真で「腰掛石」と呼ばれています。写真右は、寒椿で特に関連はありません。 
  (2015.05.27)
   
娘から動画が送信してきました。1歳と5カ月になる幼児ですが、親がやっていることをよく見ているのですね。化粧の真似をしています。こんなことを真似する・・・・女の子なんですね。(動 画
  (2015.05.24)
石山寺の最上部に登って行くと、光堂という建物がありました。一見、清水寺の舞台のような佇まいです。平成20年に東レ株式会社の寄進により再建したとか。その光堂を見上げる場所に紫式部の銅像がありました。この辺りは四季それぞれの花が咲く場所でもあります。 
  (2015.05.21)
石山寺の月見亭です。月見亭から瀬田川が眺められます。そして下から見上げた月見亭です。後白河上皇が行幸のときに建てられたということです。一部紫式部と重なる時期がありますので、ここで源氏物語を執筆したというのなら絵になる建物ですが・・・・ 
  (2015.05.19)
西国三十三カ所霊場の全部の尊像を安置されていました。因みに一番札所は、和歌山県那智勝浦にある青岸渡寺。三十三番札所は、岐阜県の華厳寺です。西国三十三カ所は、岐阜県、滋賀県、京都府、大阪府、奈良県、和歌山県、兵庫県に点在しています。石山寺は、第13番札所で御詠歌は「後の世を 願うこころは かろくとも ほとけの誓い おもき石山」です。 
  (2015.05.17)
重要文化財の「経蔵」で桃山時代の16世紀後期の建立と云われています。高床の校倉で石山寺の経典などが収納されていました。その高床の足元に「腰掛石」があり、ここに座ると安産すると言い伝えられているとか。座布団が置いてありましたが、座り心地はあまり良さそうではありません。見晴らしの良いところにある岩ならわかりますが、雨具が無い人が雨宿りするために潜り込むようなところにある岩が何故??? その経緯はわかりませんでした。
  (2015.05.15)
石山寺に戻ります。本堂ですが、本堂内の仏像を撮影禁止という寺院はよくありますが、本堂そのものを近くで撮影禁止になっています。本堂横に「紫式部源氏の間」がありここで源氏物語を執筆したとか。ここには、このような人形と案内板が置かれていますが、これは昔訪れたときの記憶にありますが、この写真には写っていませんが(あえて写しませんでした。)この紫式部さんの右側に液晶テレビが置いてありマスコットキャラクター宣伝ビデオを放映していました。平安時代の源氏の間には相応しくないものだと思います。寺院なのに無神経だと思えます。 
  (2015.05.13)
カキツバタ、アヤメ、ハナショウブどれもよく似ていますが、簡単に見分けることができます。アヤメ以外は湿地に咲いています。花弁の中心で見分けます。①白くなっているものがカキツバタ ②模様になっているのがアヤメ ③白でなく黄色になっているのがハナショウブです。ということで写真左からアヤメ、カキツバタ、ハナショウブです。 
  (2015.05.11)
観音堂というところに、カキツバタが植えられています。一面、濃い紫色に染まって初夏の風に揺れていました。
  (2015.05.09)
近くの会館に鯉のぼりが5月の風に元気に泳いでいました。普通のアヤメですが、中心部が白く大きくなっているアヤメが咲いていました。このようなアヤメは初めて見ました。 
  (2015.05.07)
本堂へ行く途中にあるのがこの巨石群です。「石山寺 硅灰石(けいかいせき)」で、硅灰石は、石灰石と花崗岩が接触してその熱で変質したもので、通常は大理石になりますがここのように巨大な硅灰石になっているのは珍しいものということで、大正13年3月に国の天然記念物に指定されました。石山寺の石山はこの巨石が起こりだそうです。 
  (2015.05.04)
石山寺境内に入ると、目に入ってくるのはこの天然奇岩。大理石で、「くぐり岩」と呼ばれていて体内くぐり状態をなすこの池は天平時代のものなのだそうです。水車もありました。昔来た時には無かったような気がしますが・・・???(動 画 
  (2015.05.02)
この池には、「金龍竜王」即ち大日如来の化身の竜族の長が居ます。石山寺の守り神で除難招福を計ります。江戸時代中期にその姿を現したとか。
  (2015.04.30)
滋賀県大津市にある「石山寺」に行きました。仁王門とその両脇に祀られている仁王ですが、口を開けて何かを言っているようですが何を言っているのかご存知でしょうか?写真中は門の右の仁王で「あ」、写真右は門の左の仁王で「ん」と言っています。言語の始めと終わりで、ここを訪れるすべての人を迎え入れるということです。「あ・んの呼吸」と言いますが、語源はここからきています。
  (2015.04.28)
黒漆喰の和風建築の黒壁の建物が30棟あり総称で黒壁スクエアと呼ばれています。写真は黒壁5号館です。豊国神社です。秀吉の地元ですから当然存在する神社です。駅前にある秀吉と石田三成の銅像です。三成が秀吉にお茶を差し出しているところです。これには有名な逸話があります。秀吉が鷹狩をしていましたが、喉が渇いたので寺に立ち寄ってお茶を所望したところ寺の小姓は、大ぶりの茶碗にゆるめの茶を一杯に入れて差し出しました。秀吉は一気に飲んでもう一杯頼んだところ小姓はやや小さめの茶碗に少し熱めの茶を差し出した。更にもう一杯頼むと小さい茶碗に熱いお茶を出しました。喉が渇いた相手には飲みやすいお茶を多めに出し、渇きが癒えたら熱いお茶本来の味を味わってもらうというこの小姓の気配りを気に入った秀吉は城に連れて帰り家来としました。この人物が後の石田三成なのです。 
  (2015.04.26)
安藤家は、明治時代に福島県で呉服店を経営していた(現在の百貨店中合)ので看板の製作を北大路廬山人に依頼しました。大正11年(1922)に完成したこの看板は、縦96cm、横417cm、厚さ9cmのケヤキの一枚板を使用して作られたもので、「呉」は亀を「服」は鶴を形象したもので廬山人の傑作の一つと言われています。 
  (2015.04.23)
この庭は、「古翠園」と言って小蘭亭の前庭として大正3年に造られた池泉回遊式庭園です。長浜の庭師の布施宇吉が10年の歳月をかけて完成させたということです。つつじが咲く頃が綺麗な庭園ではないでしょうか。 
  (2015.04.21)
向こうに見える建物は、安藤家の離れで渡り廊下で行くことができますが非公開となっていました。芸術家であり美食家としても著名な北大路魯山人が逗留して「小蘭亭」と名付けました。この小蘭亭は、魯山人が手掛けた装飾が残されていて天井絵、襖、障子などの内装は文人趣味に徹し中国風になっているそうですが、メインの建物なのに非公開とは・・・・・ 
  (2015.04.19)
北国街道・安藤家ですが、豊臣秀吉が長浜を城下町として開いたとき町民から10人の代表を決めて、町の自治を委ねました。安藤家はその一人で、この家は明治38年から大正4年にかけて建てられました。 
  (2015.04.17)
ソメイヨシノは、散り始め~葉桜になっていますが、枝垂れ桜や八重桜は今が見頃になっています。昨日の夕方に撮影した勤務先の桜ですが、携帯電話で撮影したので解像度はイマイチです。
  (2015.04.15)
また長浜市を散策です。繁華街を米川が流れています。川の両側にはこのような時代劇に出てくるような家並みが続いていました。 
  (2015.04.13)
また長浜に戻って大通寺です。この駕籠は井伊直弼の七人目の娘で安政5年(1857)大通寺の養女になった砂千代の所用のもので、明治5年(1872)に大通寺の第10代住職と結婚したそうです。
  (2015.04.10)
少し離れて東城陽中学校・城陽寺田ゴルフ付近の桜です。土手には雪柳も満開になっていました。京都や奈良に行かなくても近くには数多く綺麗なところがありますが、京都奈良の有名なところと違うのは、背景が全く違っているというところですね。このようにアップで写せば哲学の道と何ら遜色ないものです。というのは少し無理があるかな・・・・
  (2015.04.08)
近所の「嫁付川」のソメイヨシノが満開になりました。年々大きくなってきて立派な桜に成長してきたので、見ごたえのある桜並木になってきました。嫁付川も桜と同じようにきれいになって魚釣りができる川に・・・・というようにはならないようで相変わらずドブ川です。 
  (2015.04.06)
境内に入ると正面に大きな本堂があり、目を右に転じると鐘楼が眺められます。ここまではどこの寺院でも見られる光景ですが、鐘楼の下を見ると何と堀で囲まれていてその中心に鐘楼があります。鐘を突くには橋を渡らないと行けないのです。数多くの寺院を見てきましたがこのようになっている鐘楼は初めて見ました。これを見ただけでも大通寺に来た甲斐があったというものです。
  (2015.04.04)
長浜市の中心に真宗大谷派別院大通寺があります。石畳の表参道の正面に山門が望まれるこの周辺は門前町の佇まいになっています。この山門は総欅造だそうです。 
  (2015.04.02)
店先の看板も時代劇のオープンセットのようなものが点在しています。旅館も旅籠といった感じの宿でした。ちょんまげ姿の侍がヒョイと顔を出しそうな・・・・
  (2015.03.31)
長浜の中心街を歩くと「北国街道」がありました。琵琶湖の北東岸を北上し北の庄に通じるこの街道は、北陸と京阪神を結ぶ重要な街道でした。このような常夜灯や土蔵など昔の面影が色濃く残っていました。
  (2015.03.29)
  
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