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今度は幼稚園の運動会です。小学校と違って運動場も小さく子供も小さくて可愛いものです。
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運動会の季節ですよね。小学校の運動会を撮しました。運動会は秋の行事というイメージがありますが、最近は5月に行う学校が多くなっているそうです。9月から10月はじめはまだ暑さが厳しく熱中症の危険性があるということで春に行う学校が増えているとか。これも地球温暖化の影響か。
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哲学の道を流れていた疎水は、北に行くほどやや細くなり深くなって流れています。この辺りは小学校へ行く通学路として毎日通りましたが、疎水が流れていること以外は大きく変わっています。道ばたに砥草が生えていました。今でも仕上げにこの砥草で磨くことがあるそうです。
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国宝観音殿を、池越しに正面から見ることができる一等地から撮しました。そして側面、裏面も見ることができますが、塗料が氷柱のようになって痛んできているように思われます。
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小さな滝もあり、心地よい水音を立てていました。(写真左) 「お茶の井」と言って足利義政がお茶を点てるときに使用した湧き水です。(写真中央) その湧き水辺りから見た観音殿です。(写真右)
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観音殿の前庭には、水辺が広がっています。水、石、松、五月などが見事にマッチして、周囲は観光客でざわついていましたが、静かなたたずまいを醸し出していました。
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臨済宗相国寺派「慈照寺(銀閣寺)」の国宝「観音殿」です。近頃は、外国人観光客が多く(動 画)には異国の言葉が飛び交っています。写真中央は、本堂前から見た銀紗灘と向月台(写真右)という2つの砂盛りがあります。
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今回の最終目的地である「銀閣寺」に久し振りに行きました。入り口から庭園までの導線は、なかなか趣があります。たくさんの観光客がいましたが、ほとんどの人が素通りしていましたね。
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法然院に立ち寄りました。このような山門には和服姿が似合います。山門を潜ると水流の模様が描かれた、白砂壇(びゃくさだん)があります。水を表す白砂壇を通ることは、心身を清めて浄域に入ることを意味しています。垣根も趣があります。
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昨夜は、十五夜でしたが9月15日が名実とも十五夜であったのは、珍しいのではないのでしょうか。昨夜は曇り空で雲が切れることがありませんでした。「月に叢雲、花に風」といいますが、そのとおりでうまくいかないものですね。左から順に露出オーバーにして撮しました。
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庭にあった石を写して見ました。蹲、灯籠、そして庭石ですが、人の顔のようになっているの、おもわずシャッターを押してしまいました。
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座敷からこのような感じで庭を眺めていると、サツキに蝶が蜜を求めて飛んでいました。蹲(つくばい)がありましたが、置いてある柄杓がなかなか粋なものですね。
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庭園です。サツキが植えられて華やかな造りとなっています。その中に石橋や石灯籠がチラリと望まれ、アクセントになっています。(動 画)
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本堂内にある本尊「阿弥陀如来」座像です。金色に輝いて神々しさが感じられます。
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鹿ヶ谷「安楽寺」に行きました。鹿ヶ谷と言えば京野菜の「鹿ヶ谷カボチャ」が有名ですよね。ここは通常は非公開で、春と秋のさくら・つつじ・さつき・もみじの見頃の土日祝日に一般公開されます。7月25日には「鹿ヶ谷カボチャ」の供養が行われます。この趣のある茅葺きの山門は、明治25年(1892年)に建てられたものだそうです。
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哲学の道です。きれいに整備されて子供の頃遊んだ哲学の道ではありません。程なく宮内庁が管理している宗諄女王(そうじゅんじょうおう)墓があります。そして、疎水まで岩が張り出しているところがあります。この辺が子供の頃の記憶にある唯一の哲学の道です。
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蹴上から哲学の道に行きました。蹴上のインクラインの線路、南禅寺周辺には有名な湯豆腐店、そして私学の東山高校がありました。
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夜になると花火大会がありました。目の前の海岸線で打ち上げるので迫力がありました。花火は字のとおり火花を見るものですが、ドンという音がなければ面白くない。音の芸術でもあるのです。(動 画)
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この浅茂川では、「浦島太郎」伝承が伝わっています。この小さな神社は、島児神社と言って浦島子(浦島太郎)を祀る神社です。
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宿泊した民宿です。醤油を製造していてこのような工場がありました。泊まった日はこの地方の夏祭りであったためこのような提灯が家々に掲げてありました。
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京丹後市網野町浅茂川に泳ぎに行きました。やはり日本海はきれいですね。透明度が違います。空の青、海の青が同じ色で、空の青が海に染まっているようでした。
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八幡堀に行きました。映画のオープンセットのような風景が眺められます。(動 画) 時代劇の絶好のロケ地になっています。最近では、NHK朝の連続テレビ小説「あさが来た」で、姉のはつが嫁ぐシーンが、ここで撮影されました。
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近江八幡市宮内町にある「日牟禮八幡宮(ひむれはちまんぐう)に行きました。古くから近江商人の信仰を集めていた神社です。2種類の風鐸が印象的でした。
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円山公園の樹木です。そして有名なしだれ桜ですが、少し元気を取り戻したようにも思えます。働く少年の像がありました。このような姿で、新聞配達をしている少年は今では見られないように思います。
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大谷祖廟に墓参りに行きました。汗が滝のように流れる猛烈の暑さにはダウン寸前でした。帰りに寄った喫茶店で食べた「かき氷」で生き返りました。
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琵琶湖では、いろいろな船・舟で楽しんでいる人がいました。
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守山市今浜町の琵琶湖湖畔に「ハマヒルガオ」の群生地があります。浜昼顔は海浜性の植物が淡水の琵琶湖に自生するのは貴重な存在です。淡いピンク色した朝顔に似た浜昼顔です。
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法隆寺の夢殿に行きました。聖徳太子が描かれたお札にはこの夢殿が合わせて使用されていました。夢殿にあった風鐸と瓦です。
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三重塔の内部です。太い柱が数本見ることができます。元禄7年(1694)に再建された講堂、寺院なら普通はあると思われる鐘楼は、跡があるだけで再建されていないようです。何だか哀愁漂う寺院でした。
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法起寺の三重塔は、境内で見るより隣接する畑から見る方が趣があるようです。春先に菜の花などが咲いている風景と一緒に撮すと絵になるように思えます。
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奈良県生駒郡斑鳩町にある「法起寺」に行きました。慶雲3年(706)に建立された、現存するわが国最古の三重塔が名高いものです。国宝で世界文化遺産でもある高さ23.9mの三重塔です。(動 画)
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この部屋で、庭を見ながら抹茶を飲むことができます。(動 画) 庭園には、このような枝振りをした樹木がありました。庭から見た建物です。
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大和郡山市小泉町にある臨済宗大徳寺派の「慈光院」に行きました。禅寺という感じではなくて茶室があるという雰囲気が漂う寺院です。
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バラ園の薔薇を、中間リンクを使って撮して見ました。
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本堂の左手に三重塔が見えます。本堂の背後には「神霊石の大岩」という巨石があります。窟もあるので修験の場でもあるのです。
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奈良県大和郡山市にある「松尾寺」に行きました。境内にあるバラ園が美しいということなので出かけました。このような門をくぐり長い石段を登ると、このような本堂がありました。
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京阪三条の近くに「大将軍神社」があります。主神は素戔嗚尊で、桓武天皇が平安京を造営した際に大内裏鎮護のために四方四隅に祀られた大将軍神社のうち東南隅の一つだそうです。樹齢800年と言われる銀杏の大木があります。
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無鄰菴には洋館の建物があります。この部屋で明治36年4月21日に山縣有朋、伊藤博文、桂太郎、小村寿太郎の4人が日露戦争開戦直前の日本の外交方針を決める無鄰菴会議が、午後4時から2時間行われたそうです。(写真中央) この椅子は、山縣有朋が愛用したものだそうです。(写真右)
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無鄰菴(むりんあん)に行きました。山縣有朋が京都に造営した別荘で、昭和16年に山縣家より京都市に譲渡されたものです。庭園は、七代目の小川治兵衛によって造られました。芝生が植えられ明るく開放的な庭園となっています。
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庭園は、夢窓国師の作庭といわれ天竜寺、苔寺と共に京都の三名勝史蹟庭園の一つに指定されています。小さな滝の音が聞こえたり、カエルの鳴き声(動 画)が聞こえました。
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水路閣の傍にある「南禅院」に行きました。鎌倉時代の文永元年(1264)亀山天皇がこの地で離宮を営まれたのが始まりとされます。火災や応仁の乱で焼失して元禄16年(1703)に桂昌院の寄進により再建され現在に至っています。建物の内部の拝観はなく庭園だけ見ることができます。
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南禅寺水路閣は、明治21年(1888)に完成した全長93.2m、幅4m、高さ9mのレンガ・花崗岩造りのアーチ型の橋脚で、南禅寺境内を通過するので周辺景観を配慮して、田辺朔郎が設計・デザインしました。現在もこのように疎水が流れていて使用されています。京都は、北から南に鴨川などは流れていますが、この疎水は南から北に向かって流れています。動力を使うことなく自然勾配で流れています。明治時代に作られたその設計・技術力には目を見張るものがあります。
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小さな滝がありました。その水飛沫を撮して見ました。池を横断する飛び石です。そして池の岩の上に亀が甲羅干しをしていました。
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本堂前庭(東庭)です。 (動 画) 枯山水の庭で幾何学的な石畳と数個の石、白砂、苔でもって作られた庭です。
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金地院に続いて「天授庵」に行きました。本堂ですが、この本堂は慶長7年(1602)に細川幽斎によって再建されました。
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