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11月29日の続きの北海道礼文島です。香深港から利尻山が、きれいに見えました。
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12月の最大の行事といえば、クリスマスですよね。我が家もクリスマスグッズを、玄関の下駄箱の上に飾りました。豪華なイルミネーションをする家庭に比べれば、ささやかなものです。
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参道には、一面水仙が植わっているところがありました。冬にはきれいなスイセンが見られることでしょう。その他周辺に咲いていた花々です。
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境内の一本だけ、見事に紅葉していました。この建物の柱はシロアリやられてボロボロになっています。倒壊するのではないかと心配します。本堂も無人で相当傷んでいました。
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山門に続く参道にもモミジがありましたが、全く美しくありませんでした。この寺院によく来る人によると、台風の被害でこの年は全くダメでそうで、いつもなら京都・奈良よりここは美しいところだということでした。山門や周辺の土塀も荒れていて廃寺のような雰囲気が漂っていました。
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茨木市にある「大門寺」に、紅葉を見に行きました。句碑があり「ありがたや もみぢ浄土の 大門寺」とありました。モミジの名所のようです。寺院に向かう石段は屋根瓦が使ってあります。
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沓形港からフェリーで礼文島・香深港に移動しました。昼食に出た「ウニ丼」と「海鮮丼」です。さすが海産物の宝庫の礼文島ですね、ウニが山盛りです。
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10月2日の続きの北海道・利尻島の沓形岬です。灯台、サハリン(樺太)まで108km、青森まで480km、礼文島まで12kmなどの案内板がありました。サハリンまで108kmと近いのですね。時雨音羽の「どんと どんと どんと波乗り超えて・・・・」と歌われる「出船の港」歌碑がありました。時雨音羽は、利尻島の出身の作詞家で、君恋し、スキー、鉾をおさめて等の作品がヒットしました。
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木津川の土手に上がると、木津川の雄大に流れています。下流を見ると木製の流れ橋とコンクリートの橋の新旧の橋を上下に見ることができました。土手にはお地蔵さんが祀られていました。
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散歩道に咲いていた花です。お茶の花です。(写真左)、皇帝ダリアが青空をバックに紫色の花が冴えます。(写真中央)
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散歩道の風景を撮しました。秋と言えば柿ですね。沢山の実を付けていました。嫁付川の桜並木は、紅葉しています。田圃には、稲木がありました。近頃は、コンバインで刈り取るところが多いので、稲木がメッキリ少なくなりました。
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歴史は遡り平安京が誕生した延暦時代で、時代祭行列の最後になります。武官の「坂上田村麻呂」(写真左)、文官(写真中央)、神幸列(写真右)です。
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平安時代で、左から「常盤御前」、「清少納言(右)と紫式部(左)」、「小野小町」です。
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時代は更に遡り、平安時代(藤原時代)です。左から「公卿(文官)」、源義仲の側女で女武将として義仲と供に戦った「巴御前」、そして、高山樗牛の小説「滝口入道」でも登場する「横笛」です。嵯峨野に祇王寺の奥に滝口寺があります。
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中世の婦人列で、左から「淀君」、「藤原為家の室(阿仏尼)」、「静御前」です。
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京の都で行商をしていた女性たちで、左から現在の左京区大原から薪を売っていた「大原女(おはらめ)」、西京区桂から桂川の鮎や飴などを売った「桂女(かつらめ)」、左京区北白川から花を売った「白川女(しらかわめ)」です。大原女や白川女は、商品を頭に乗せて売り歩くのが特徴です。
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歴史は更に遡り、楠木正成の上洛行列です。元弘3(1333)年、後醍醐天皇が隠岐から還幸された際に、楠木一族が先駆として上洛しました。左から「侍大将」、「副将の楠木正季」、そして「主将の楠木正成」です。
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織田公上洛行列です。応仁の乱で衰退していた京都に、お召しに応じて織田信長が、兵を率いて上洛したときの行列です。左から「羽柴秀吉」、「織田信長」、「滝川一益」です。
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10月28日の続きの時代祭です。安土桃山時代になり豊臣秀頼の参朝の時の行列です。慶長元年5月の秀頼初参内、慶長2年9月の元服ときなど盛んに参朝があったときの行列だそうです。
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コスモスの両側には、たわわに実った稲穂が揺れています。そして稲刈りが行われていました。秋の里山には無くてはならない柿が、鈴なりに実っていました。
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山をバックにして撮すと、いかにも人と自然が共存する里山の感がします。ここのコスモス畑は、10本100円で持ち帰ることができます。代金は筒の中に投入するようになっています。コスモスだけではなく、向日葵も咲いていました。このヒマワリも10本100円でした。
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大阪府枚方市穂谷に、休耕田を利用したコスモス畑があります。休耕田に植えられているので、見渡す限り一面にコスモスが咲いているということではありませんが、無料で散策できますし無料の駐車場もありますので、お勧めの場所です。(動 画)
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江戸時代の左から、徳川城使上洛から槍持ちです。(動 画) 婦人行列から、皇室から徳川に嫁いだ「和宮」、そして歌舞伎の創始者と言われている「出雲阿国」です。
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明治維新時代の「維新志士」行列です。上段左から「桂小五郎」、「西郷吉之助」、「坂本龍馬」です。 下段は左から「中岡慎太郎」、「高杉晋作」、「三条実篤」です。
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京都三大祭りの一つ「時代祭」がありました。昨年は中止だったので2年振りの開催です。御池通で見ました。平安京は794年ですから、遷都1100年の1894年に平安神宮創建と、この時代祭が実施されました。1200年の1994年には、京都コンサートホールが出来ました。平安京遷都1300年の2094年には何が記念として出来るのでしょうか。写真右は、2kmにおよぶ行列の先頭「維新勤王隊」です。(動 画)
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「東京スカイツリー」に行きました。スカイツリーから見た、東京の風景です。
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昼のパレードを見たら、次は夜のパレードです。 (動 画) バック音楽は、昔聴いたのと同じもので、懐かしかったです。それにしても、キャラクターの着ぐるみの中の人は、滝のような汗で大変だろうと思います。次に着る人は、前の人の汗と匂いで着るのに勇気がいるだろうなぁ・・・
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東京ディズニーランドと言えば、パレードではないでしょうか。昔々ここに来たときのパレードと比較すると昔の方が良かったように思います。バック音楽もよかったのでは・・・・(動画1) ・ (動画2) ・ (動画3)
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ショウタイムがあるレストランに入ると、ミッキーマウス等が客席までやって来て、ハイタッチしたり写真を撮ったりしてくれます。
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東京ディズニーランドに行きました。お馴染みのゲートを潜ると、ミッキーマウスが和太鼓を叩いて歓迎してくれました。そして、シンデレラ城を背景にウォルト・ディズニーとミッキーマウスの銅像がありました。
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定番の「玉入れ」と「組み体操」です。そして、運動会が終わったら担任の先生から、メタルとプレゼントを一人一人貰っていました。このへんが幼稚園の運動会ですね。
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幼稚園の運動会です。年少組の徒競走は、両手を広げた先生の胸に飛び込むという微笑ましいものです。(写真中央) 年長組のリレーは、バトンではなくてリングを繋いでいくものです。園児らしいリレーです。(写真右)
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西国三十三カ所第21番札所の「穴太寺」がありますが、その数分のところに彼岸花が咲いています。(動 画)
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亀岡市曽我部町穴太周辺に彼岸花が咲いています。田園の畦道に咲いています。稲刈りが行われていました。刈り取ったあとに、シラサギが何かを啄んでいました。
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仙法志(せんほうし)御崎海岸から見た利尻山です。利尻山の裾野が、海まで続いているというのは珍しいのではないでしょうか。尖端が海に没しているのを見るのは、初めてのことです。(動 画)を見るとよくわかりますので、是非ご覧下さい。
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「オタトマリ沼」から東へ6km程行くと、利尻・礼文・サロベツ国立公園の「仙法志(せんほうし)御崎海岸」があります。岩がゴロゴロした海岸で、岩の上にはカモメが羽を休めていました。アザラシが飼育されていました。なかなか可愛いものです。
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利尻山のアップ写真です。こうして見ると、山頂部分は北アルプスの槍ヶ岳にソックリですね。小槍もあるので槍ヶ岳の写真と言われたら、何の疑いもなくそのように思います。(動 画)
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再び北海道利尻島に戻って、姫沼から18kmほど南に行くと「オタトマリ沼」があります。姫沼では、雲に隠れていました残雪を頂く、利尻山(1721m)が青空にクッキリと眺められました。素晴らしい光景です。
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小学校で運動会がありました。7時過ぎまで雨が降っていましたが、開始を1時間遅らせて行われました。それが正解でスタート時には青空が見られるほど天気が回復して、運動会が無事開催されました。
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姫沼から目を上げると、利尻富士と呼ばれている「利尻山」が見えるのですが、晴れているのに残念ながらずっと雲がかかり顔を出してくれませんでした。(動 画)
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北海道らしい原生林に囲まれた小さな湖が「姫沼」です。周囲約800m、深さ約2mの人造湖です。1917年に利尻山の湧き水を堰き止めたことにより、当時3つあった小さな沼が一つになりました。そして、ヒメマスを放流したので姫沼と名付けられました。
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稚内港からフェリーで利尻島に行きました。鴛泊港から見た「ペシ岬」です。「姫沼」に行きました。駐車場から吊り橋を渡って姫沼に行きます。
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宗谷岬の沖にこのような岩礁が見えます。土産物屋ですが三角屋根には、年月日、時間、気温、北緯45度31分22秒がわかるようになっています。店内に流氷が保存されている室内に入ることができました。
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宗谷岬の「日本最北端の地」の碑(動 画)です。(写真左) 樺太を探検した「間宮林蔵」の像がありました。間宮林蔵はここから出航しました。(写真中央) 「流氷溶けて春風吹いて ハマナス咲いてカモメもないて はるか沖ゆく外国船の 煙もうれし宗谷の岬・・・・・」と歌われる「宗谷岬」の歌碑がありました。(写真右)
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稚内公園内にある「氷雪の門」に行きました。日本の領土だった樺太で亡くなった人々の慰霊碑です。(写真左) その隣に「九人の乙女の像」があります。樺太で電話交換業務をしていた若い女性たちで、ソ連が侵攻して「皆さんこれが最後ですさようならさようなら」という別れの言葉を残して自決したということです。(写真中央) 稚内公園から見た「稚内港北防波堤ドーム」です。(写真右)
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JR稚内駅です。駅前広場で白夜祭の準備が行われていました。白夜祭なんて北国の祭ですね。宗谷本線の終着駅の稚内は、最北端の線路でこれより先はありません。ここが北の終点何だか感慨深いものがあります。因みに最南端は、指宿枕崎線の西大山駅です。
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稚内に移動して、「稚内港北防波堤ドーム」を見ました。案内板によると「この防波堤は、戦前、稚内~樺太定期船発着所として建設されたもので、アーチ型構造物として立案され昭和6年に着工し、昭和11年に完成したものであるが、激浪のため老朽化が進み、昭和53年に改修を実施、昭和55年に完成。古代ローマの柱廊を思わせる独特の外観から通称ドームと呼ばれ世界で唯一のものである。」とありました。ドームの向こうは宗谷海峡が広がっていました。(動 画)で見てください。
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8月11日の続きです。北海道の1泊目は旭川に泊まりました。翌朝ホテルの裏通りは広い歩道があり、両側にはネオンが煌めく飲み屋が並んでいます。夜は賑わうのでしょうが、朝は人も少なく静かな通でした。
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生駒山遊園地の夕景です。空を真っ赤に染めながら陽は落ちて行きました。遊園地の街路樹に、灯がともりました。昼間は暑かったのですが、夜になると急に気温が下がり寒くなってきました。
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遊具その2です。90%は円形にクルクル回る乗り物です。比較的小さな面積で作れるのがメリットですが、対象が子供たちになってしまいます。夏の風物詩のお化け屋敷もありました。
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生駒山遊園地は、小学生以下を対象とした遊園地のようです。どこの遊園地でもあるのはメリーゴーランドと観覧車ですが、観覧車はありませんでした。
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奈良県生駒市と大阪府東大阪市との県境に、標高642mの生駒山があります。山頂には遊園地があり子供たちの歓声が響いています。写真はケーブルカーの山頂駅、山頂からの眺め、咲いていた夏の花「百日紅」です。
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狛犬がありました。苔むして歴史がありそうな狛犬です。傍には、きれいな川が流れていました。
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明王院の境内に入ると、このような石段があり上ると本堂がありました。無人で本堂内は暗く本尊などは拝観することはできません。壁には額が掲げてあり内容からして年代物だと思われます。
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地主神社を左に行くと、「左明王院 右明王谷林道」と書かれた石標がありました。そして、明王院への朱塗りの橋、石段が続いています。
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比良山荘から更に奥に進むと、「地主神社」があります。左奥にある「明王院」の鎮守で貞観元年(859)に、相応和尚の創建とされています。現在の本殿は、文亀2年(1502)に建てられたもので重要文化財に指定されています。(写真中央)、重要文化財の幣殿も文亀2年(1502)に建てられています。(写真右)
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久多からの帰りに、坊村に立ち寄りました。坊村には、昔々福利厚生の仕事を担当していたときに、夏の山の家ということで比良山荘と利用契約をしていましたので、懐かしく立ち寄ってみました。2階は当時のままのようで見覚えがありました。
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同じ京都市左京区とは思えない光景が広がっています。茅葺きの屋根の家が見られ、北山友禅菊と茅葺きの屋根のコラボレーションが絵になります。そして、蝉の鳴き声しか聞こえない静かな山里でした。(動 画)
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京都市左京区久多宮の町という山里に「北山友禅菊」が、見頃という情報を得たので行ってみました。休耕田を利用して、紫色の友禅菊が植えられています。栗も小さなイガを付けていました。
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圃場で咲いていた左から、シソ科の「サルビアプラテンシス」、ユリ科の「チャイブ]です。そして、圃場から眺められる十勝岳連峰ですが、残念ながら山頂付近は雲に隠れています。
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寒い中、野外の圃場で咲いていた花々です。左から「キンギョソウ」、「オリエンタルポピー」、「アイスランドポピー」です。
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ファーム富田のメインの花「ラベンダー」ですが、行ったときはまだ寒くて咲いていませんでした。温室に咲いていたラベンダーです。
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中富良野町(なかふらの)にある「ファーム富田」に行きました。ラベンダー畑をメインに春から秋にかけていろいろな花が咲く農園です。
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先々月の6月中旬に、北海道に行きました。今は猛暑が続く京都ですが、6月の北海道は寒くてコートを着ていました。占冠村(しむかっぷむら)の道の駅周辺の風景です。
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京都三大銅像です。 京阪三条から京都御所に拝礼している「高山彦九郎像」(写真:左)、円山公園にある「坂本龍馬像」です。右側の座っている人物は、中岡慎太郎です。(写真:中央)、そして亀山公園にある「角倉了以像」です。(写真:右)
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嵐山にある亀山公園には、角倉了以の銅像があります。高瀬川、大堰川等を開削し、琵琶湖疎水を完成させた田邊朔郎と共に水運の父と呼ばれています。また、この銅像は京阪三条にある「高山彦九郎像」、円山公園にある「坂本龍馬」と並んで京都三大銅像と呼ばれています。写真右は、周恩来が京都留学中に嵐山で作ったと言われている「雨中嵐山」の石碑です。
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京都府八幡市内里穴田の田園の一部に、向日葵が咲いているところがあります。今、見事に満開になっていました。(動 画) 田圃に地下水を組み上げる、手押しポンプがありました。
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「柿ぬしや梢はちかきあらし山(去来)」の向井去来の別荘だった「落柿舎」です。松尾芭蕉が1691年(元禄4)4月18日より5月4日までここに滞在して「嵯峨日記」を著したところとしても有名です。
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竹林の道のところどころに、小倉百人一首の和歌が刻まれた自然石があります。その中から3点。写真左から「白露に風の吹きしく秋の野はつらぬきとめぬ玉ぞ散りける(文屋朝康)」、「これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬも逢坂の関(蟬丸)」、「秋の田のかりほの庵の苫を粗みわが衣手は露にぬれつつ(天智天皇)」
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源氏物語の賢木の巻に登場する「野宮神社」です。縁結びということで若い女性が多い神社です。本殿の横に祈りを込めてなでると、願い事がかなうという「神石(亀石)」がありました。本殿の右側を行くと、庭一面に苔が植えられて緑の絨毯を敷き詰めたようでした。
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渡月橋の右側と左側で川の名前が変わります。上流を大堰川、下流を桂川です。大堰川ではボートを浮かべて舟遊びをすることができます(動 画)。「戸無瀬の滝」があります。平安時代から多くの和歌に詠まれています。江戸時代に角倉了以によって保津川の開削工事があり、滝の大部分が削り取られたそうです。(写真中央) そして保津川下りの舟です。三人の船頭によって運航されています。
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嵐山・渡月橋です。(動 画)渡月橋の写真はほとんどが、写真右のものです。反対側から撮したのが写真中央ですが、バックに小倉山が写らないので雰囲気が大きく異なっています。渡月橋の傍にある茶店で販売されている桜餅です。右側はよく見られる桜餅ですが、桜色ではなく白色で餡は入っていません。
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湯豆腐の店を過ぎると、寺院の前に出てきます。そして、天龍寺の参道に通り抜けることができました。その道すがらに咲いていた草花です。
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京福電車嵐山駅に入ってきたのは、京都らしい紫色の電車です。駅を出たところにこのような門構えのところがありました。通り抜け可とあったので入ると、嵯峨湯豆腐の店がありました。
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京都市右京区にある「嵯峨野」です。嵯峨野と言えば竹林ですが、竹林の中を人力車が走る(写真左)観光名所ですが、いま心無い観光客によってその竹が泣いています。写真右のように、マジックペンなどによる落書きならまだしも、ナイフ等で傷付けられています。これは酷いものです。許せません。
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本堂の側面を見上げると駕籠がありました。何故こんなところに置いてあるの? 風雨に晒されるので大分傷んでいました。本堂前の枯山水がありました。前に川が流れているのに枯山水? そこで住職に聞くと、谷に造られた寺院なので薄暗い感じがするので、白い砂で光を反射させて明るさを、感じさせるためだと言うことでした。そして鐘楼です。
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開祖の弾誓上人の石廟です。この岩窟は、入定される一年前に修行僧に掘らせたものです。上人は、穀断ち・塩断ちして松の実、松の皮を食べて体質を樹脂質化して、石棺の真下に掘ってある二重の石龕(せきがん)に入り「ミイラ佛」になられました。明治15年に石棺に収められました。現在でも、ミイラ佛として端坐合掌の相で安置されているそうです。
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中庭には「クリンソウ(九輪草)」(プリムラ:サクラソウ科の多年草)が、咲いているとの情報を得たので、この花を見に阿弥陀寺にやって来ました。境内のあちこちに咲いていると思ってきたのですが、この中庭だけしか咲いていませんでした。(動 画)
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阿弥陀寺の前に「実相の滝」(動 画)があります。落差2mという小さな滝ですが、なかなか趣のある滝です。そして、阿弥陀寺の本堂と阿弥陀如来立像です。
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大原三千院を通り過ぎた、京都市左京区大原古知谷に浄土宗「阿弥陀寺」があります。周囲は山に囲まれた山の中に、このような山門があります。この山門を潜り、山道を数分登ると阿弥陀寺が見えてきます。
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滋賀県近江八幡市宮内町にある「八幡公園」です。ツツジの名所ということで行きましたが、現在は以前の状態に戻すべく再整備中でした。豊臣秀次の銅像があります。秀次は、1585(天正13)年に八幡山城主になり、現在の町の原形が整備されました。
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石楠花の他に、近江富士花緑公園で咲いていた「ヤマブキ」(写真左)、「ツルマサキ」(写真中央)、「キソケイ」(写真右)です。
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滋賀県野洲市三上に「近江富士花緑公園」があります。近江富士と呼ばれている「三上山」が間近に見られる公園に石楠花が咲いています。(動 画)
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豊臣秀吉の寄進の一文字という手水鉢です。(写真左) 高さ24m、幅50mという知恩院の三門です。(写真中央) 三門の先に「師弟愛の像」があります。(写真右)1934年9月21日室戸台風の上陸で京都は暴風雨となり小学校が倒壊し担任の先生が、児童をかばい殉職されました。昔、母親からこの話を聞かされた記憶があります。そう言えば、鶴田浩二主演の映画「聖職の碑(新田次郎原作)」を見たことがあります。この映画も師弟愛が描かれていました。現在の学校でも、このような先生ばかりであることを・・・・
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回遊式庭園になっていて、小御所から左に行くと小堀遠州の作といわれる、霧島の庭があります。好文亭という茶室もあります。(写真下段:中央) ツツジの間から小御所が見えました。(写真下段:右)
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小御所からは、このように庭園が見られます。障子を少し開かれています。自然の掛け軸ですね。三十六歌仙の絵が掲げてありました。そう言えば、詩仙堂にも三十六歌仙の絵がありました。
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青蓮院小御所前に「相阿弥」の作と伝わる、瀧心池を中心とした庭園が広がっています。霧島ツツジが、ところどころに点在していて彩りを添えています。(動 画)
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京都市東山区にある天台宗「青蓮院門跡」です。着くと目に入るのはクスノキの巨木です。ガッシリと地面を掴んでいる根は力強さに溢れていますが、目を上げると枝がほとんど伐採されていました。
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京都市左京区岡崎にある「京都府立図書館」です。京都図書館という文字や建物には、歴史を感じさせるものです。覗き込むとドライエリアがあり閲覧室を見ることができました。
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田植えが始まりました。流れ橋のたもとに石仏がありますが、流れ橋の完成を喜んでおられることでしょう。自転車専用道路から見た流れ橋です。近くに紫陽花がきれいなところがありますが、年々紫陽花が少なくなっています。3~4年前は、もっと多くの紫陽花が咲いていました。
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