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三宅八幡宮その3です。 この神社の神の使いの鳩に餌を与えると、群衆となって寄ってくるので餌を与える子供は、タジタジとなっていました。九代目の市川団十郎が、明治23年(1890)に寄進した井桁です。裏面に市川団十郎と彫刻されています。東京の歌舞伎役者が、何故ここの神社に寄贈したのかは、案内板には書かれてありませんでした。
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先日の台風14号の雨で、流れ橋(上津屋橋)の橋桁には流木やゴミが、このように引っ掛かっています。これだけ水位が上がって来たのかと驚きです。本流も水量も多く川幅も広くなっています。(写真中央) 日頃は砂地だったところも今は川になっています。(写真右)
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近くの石田神社に咲いている、曼珠沙華(ヒガンバナ)です。
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三宅八幡宮その2です。 祭神は「応神天皇」で、社伝によると推古天皇の頃、九州の筑紫で体調を崩した「小野妹子」が、宇佐八幡に祈願したところ体調が回復したので、宇佐八幡を勧請したのが始まりと言うことです。 参道に茶店があり、鳩餅が有名なのですが平日だったので閉まっていました。
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「ごんしゃん ごんしゃん どこへゆく 赤いお墓の ひがんばな」(北原白秋作詞 山田耕筰作曲)の「曼珠沙華」という歌曲です。今あちこちの草むらに咲いています。白い彼岸花(曼珠沙華)がありました。白いのは、ほとんど見ることはありません。
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京都市左京区上高野三宅町にある、「三宅八幡宮」に行きました。 子供の疳の虫封じなど、子供の諸病平癒の神様として知られている神社です。 鳩を神の使いとされており、神社の入り口には狛犬でなくて、狛鳩が置かれています。
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夕映えの流れ橋から木津川を眺めた三題です。 マウンテンバイクで川を渡る練習をしていました。競技大会となれば悪路を踏破する競技ですから、練習の一貫なのでしょう。 犬の散歩をしている人もいました。犬は水遊びが好きですから。 夕映えの流れ橋を撮影している人もいました。
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秋の夕映えに、金色に輝く流れ橋です。橋の脚の影が、このように長く伸びているのを、写真に撮すのは初めてのことでした。
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赤色の萩の隣に、白色の萩が咲いていました。白色の中に赤色の花が混じっていました。
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桔梗、葛、藤袴、女郎花、尾花、撫子、そして萩。秋の七草のひとつの萩が見頃になってきました。
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空を見上げると、いろいろな形をした雲を見ることができます。亀?アヒル?が歩いているような雲がありました。たまには、目のためにも青空を見ることも良いものです。
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オシロイバナ科の「ブーゲンビリア」(写真左)、ヒユ科の「ケイトウ」(写真中央)、ナス科の「観賞用トウガラシ」(写真右)です。
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沖縄の家庭料理と言えば「ゴーヤチャンプル」ですが、その食材で一般的に「ニガウリ(苦瓜)」、「ゴーヤー」と呼ばれている「ツルレイシ(蔓茘枝)」が、できていました。
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比叡山延暦寺その5です。 復路も比叡山ドライブウェイを通り、京都・北白川に戻ってきましたが、その帰り道から見た琵琶湖です。遠くに近江大橋が眺められます。
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比叡山延暦寺その4です。 根本中堂の向かい側に急な階段があります。幅が狭く、勾配があり過ぎるので登れるのかと思うくらいです。登り切ると「文殊楼(もんじゅろう)」があります。文殊楼は、延暦寺の正門なんだそうです。「国連平和の鐘」という鐘楼もありました。
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夏の夜の花、名残の「オシロイバナ」が、まだ咲いていました。白色、赤色、見事に赤色と白色が半々のミックスオシロイバナが咲いていました。
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比叡山延暦寺その3です。 国宝の「根本中堂」に行きました。修復工事中で建物全体がこのように覆われていました。中は拝観することはできるので、「油断大敵」の語源ともなった、不滅の法灯も見ることができました。
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比叡山延暦寺その2です。 延暦寺は「東塔地域」、「西塔地域」、「横川地域」の三つの地域があります。東塔地域の「大講堂」です。石標には、「一隅を照らそう」と書かれています。大きな「鐘楼」があり、50円で鳴らすことが出来ました。
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比叡山ドライブウェイを通って「比叡山延暦寺」に行きました。標高848mの比叡山、気温が4~5度低く吹く風が気持ちよかったです。
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石田神社その4です。 いつ行っても誰もいない石田神社ですが、願い事を書いた絵馬も沢山掛けてあります。夕方になると現代の灯籠に明かりがつきました。振り返ると鳥居にある「石田神社」という文字が、歴史を感じさせますね。
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石田神社その3です。 本殿参道の横に小さな鳥居があります。石標に「天照大神皇伏拝所」とあります。天照大神が、何に伏拝したのかが書かれてありません。その天照大神の小さな祠です。(写真右)
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石田神社の「狛犬」です。本来は「獅子・狛犬」といい、向かって右側が口を開いた角なしの「阿像」で獅子、左側が口を閉じた角ありの「吽像」で狛犬です。
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流れ橋(上津屋橋)を渡ると「石田神社」があります。祭神は「素戔嗚尊」で大宝2年(702)に創建され、兵乱で社殿は焼失しましたが、文治4年(1188)に源頼朝の寄進により再建されました。十三重の石塔は、形状から南北朝時代のものと言われています。城陽にもこんな歴史のある神社があるのですね。
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田園の稲には、稲穂が大きくなってきました。また一段と秋が近づきました。
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木津川の堤に同じように、石田神社を見ているお地蔵さんがおられます。いつもは帽子を深くかぶっておられて、顔を見ることができませんでした。今日はその帽子がありません。風化が進んでいるので、相当古い仏様のようですね。
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木津川の堤に「石田神社遙拝所」という石標があります。昔は石田神社を見ることが出来たのでしょうか。石田神社に行くのは、流れ橋(上津屋橋)を渡らなければなりません。空には入道雲がモクモク、木津川はこの前の大雨で中州が出来ていました。
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長く咲いているから名付けられた「ヒャクニチソウ」(写真左・中央)です。長く咲くと中心部が、大きく盛り上がってきています。そして、「ユリ」です。
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朝顔が咲いていました。やはり、夏の花といえば「アサガオ」ですよね。ススキが穂を伸ばしてきています。お月見に間に合うように・・・
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田圃の稲も順調に育ってきているようです。
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コスモスが咲いていました。コスモスは初秋の花というイメージですが、この真夏でも咲くようです。
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道端に「スミレ」が咲いていました。
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「ヒャクニチソウ」(写真左・中央)です。そして黄色の「オシロイバナ」(写真右)です。
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白壁の立派な倉が建っています。倉の窓も時代劇に出てきそうなものです。写真を撮って通り過ぎ振り返ると、何とアルミサッシの窓。時代劇のオープンセットのようでした。
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熱帯アジア原産、ナデシコ目ヒユ科の「ハゲイトウ」です。(写真中央・右)漢字では「葉鶏頭」と書きます。鶏冠(トサカ)に似ているかも。そして、キキョウ(桔梗)です。(写真左)
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散歩で通る道筋には、日本の原風景のような、白壁の建物が見かけます。相当痛んでいる、倉庫のような建物もありました。そして、共同利用の野菜洗濯場がありました。
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夜を彩る花の「オシロイバナ」が咲いています。赤い色がほとんどですが、白いオシロイバナを見つけました。白いのは、ほとんど見かけませんね。
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百日紅です。白い百日紅は珍しいのではないでしょうか。紅白の百日紅を撮して見ました。サルスベリというのですから、この幹なら猿も滑り落ちるのでしょうか。
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北白川小学校その2です。この辺りの囲障は、記憶にあるものでしたが改修されたらしく、新しいものになっていました。(写真左)この門は教職員専用のものでしたが、今は児童も出入りできるようでしょう。(写真中央)この建物は記憶にあるような気がするものでした。(写真右)
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京都市左京区にあり母校でもある「京都市立北白川小学校」を撮しました。中に入ることはできませんので、周囲を一周しました。昔は講堂だったところは体育館になっています。(写真左)通用門から見た運動場で登下校はこの門からでした。(写真中央)通用門の向かいに文房具店がありました。、今もありましたがシャッターが閉まっていました。閉店?(写真右)
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ホームセンターで売られていた、3種類の「ハイビスカス」です。真っ赤な色が、ハイビスカスらしくていいですね。南国を思い起こさせます。
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ホームセンターで、販売されていた花を撮して見ました。「ノウゼンカズラ」(写真左」、「西洋ニンジンボク」(写真中央)、そして一見ハイビスカスかと思った「ムクゲ」(写真右)です。
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「ムラサキツユクサ」(写真左)と「ガザニア」(写真中央・右)です。
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稲が順調に育っている田圃には、サギが羽を広げています。茶摘みが終わった茶畑は、薬剤散布が行われていました。そんな様子を向日葵が眺めていました。
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近くに、休耕田を利用した蓮池がありました。つぼみが多く見頃は少し先のようですね。
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道すがら咲いていた花々です。「つるバラ」(写真左)、「ムラサキカタバミ」(写真中央)、そして「ペチュニア」(写真右)です。
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