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我が家の鉢植えの花を撮してみました。 やはり、仙人掌(サボテン)が綺麗に見えるのは、グロテスクな体型から普通の花が咲くので、よけい綺麗に見えるのでしょう。
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淀城趾その3です。与杼神社の本殿の横に、当時の基礎石がありました。(写真左) そして、江戸時代の豪商、大坂淀屋が寄進した高灯籠です。(写真中央と右) 現在でもその名は残っていて、京阪電車終点の駅名は「淀屋橋」です。
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やっと梅が咲き出しました。例年と比べるとだいぶ遅いようです。
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淀城趾その2です。 与杼神社の拝殿と本殿です。
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2023年12月初旬に、京都市伏見区淀本町にある「淀城趾」に行きました。城趾の傍にある「与杼神社(よどじんじゃ)」です。応和年間(961-964)に僧の千観内供(せんかんないぐ)が、肥前国(佐賀県)河上村の淀大明神を勧請したことに始まるとか。当初は、桂川の水上運輸の守護神でしたが、明治33年(1900)に淀川改修工事で、ここに移されました。参道の両脇にある2本の銀杏が印象的でした。
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木津川の土手道にあるお地蔵さんです。振り返ると「石田神社遙拜所」という石標がありますが、正月の名残りの葉ボタンが植えられていました。その先に、壊れたままの流れ橋が見えます。
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近くの古川に鷺(サギ)が一羽、悠々と歩いていました。魚を狙っているのでしょう。(動 画)
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近くの小学校の校門の脇に、パンジー(三色すみれ)が植えられていました。花いっぱい運動の一環だそうです。どの花を見ても、髭を生やしたおじさんの顔に見えてきますね。
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ヘチマ(糸瓜)が出来ていました。本来の名前は、果実から繊維が得られることから付いた糸瓜(いとうり)と言うのだそうです。 イトウリが後に縮まって「とうり(と瓜)」となり、「と」は「いろは順」では「へ」と「ち」の間にあることから「へち間」の意で「へちま」と呼ばれるようになったとか。ホンマかいな!!
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ある日の木津川の土手からの光景です。 田圃から稲穂を燃やす煙が立ち上っていました。犬を散歩する人。そして、クラリネットを吹いている女性がいました。
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今宮神社その4です。 茶店の銘菓の「あぶり餅」です。竹串に刺した一口の餅を炭火で焼いています。これに甘ダレを付けて600円です。茶店は、「かざりや」と「一和」の2店あり、前者は、江戸時代の寛永14年(1637)の創業、後者は何と平安時代の長保2年(1000)という日本の最古の和菓子屋です。
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ある日の木津川の土手の光景です。 凧揚げをしている親子がいました。昭和の凧揚げの凧は、奴凧が思い浮かべますが、平成は「カイト」というのだそうです。令和になると、写真右のように「ドローン」が飛んでいました。マァ、これは凧ではありませんが・・・
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今宮神社その3です。 参道の両側に、今宮神社と言えばここという、超有名な茶店があります。時代劇のオープンセットのような店構えです。
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サザンカ(山茶花)が咲いています。お正月らしく紅白のサザンカを撮しました。サザンカと言えば、童謡で「たきび」で、「サザンカ サザンカ咲いた道
焚き火だ 焚き火だ 落ち葉焚き・・・」とサザンカが登場しますね。歌謡曲で「さざんかの宿」という不倫旅行の歌もありました。
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次に行ったのは、城陽市平川東垣外に鎮座する「平井神社」です。ここも創建年代は不明ですが、真言宗「蓮開寺」の配下として、江戸時代の享保18年(1733)には存在していたとか。当時は、牛頭天王社と呼ばれていましたが、明治2年(1869)に現在の名前になったとか。近鉄久津川駅の傍にあり、寒桜が咲いていました。神社に並んで蓮開寺がありましたが、衰退していて民家のような建物が当該の寺院でした。
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城陽市久世芝ヶ原に鎮座する久世神社です。創立年代は不明ですが、本殿は室町時代の中期と推定され、重要文化財に指定されています。祭神は、日本武尊です。このような神社ですが、行った時は参拝者は誰もいなくて寂しい初詣でした。
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例年通り、水度神社(みとじんじゃ)に行きました。城陽市内では、一番参拝者の多い神社です。寒い中参拝者のために焚き火がありました。昔は焚き火は、よくやったものですが、道路は舗装されて焚き火をするところが無くなり、ご近所が焚き火を囲むという文化はなくなっています。
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明けましておめでとうございます。 本年もどうぞよろしくお願いします。
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今宮神社その2です。 小さな祠の中に、綺麗でフカフカの座布団の上に、石が鎮座しています。この石は阿呆賢(あほかし)さんと呼ばれいます。古くから「神占石(かみうちいし)」とも云われ、この石に心を込めて、病気平癒を祈り、軽く手で撫で身体の悪きところを摩れば、健康の回復を早めるとのこと。
また、「重軽石(おもかるいし)」とも云われ、まず手の平で三度石を打ち持ち上げる、願い事を込めて三度手の平で撫でて再度持ち上げます。初めより軽くなれば、願いが成就すると言い伝えられています。
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京都市北区紫野にある「今宮神社(いまみやじんじゃ)」です。都に疫病が流行したことから、長保3年(1001)に創建されました。本殿は、明治29年(1896)に焼失、明治35年に再建されたものです。写真右の松は、琵琶湖畔にある日吉大社の摂社である唐崎神社の霊松を、遷したものとのことです。
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近くにある小学校の下校風景を撮しました。田圃の中を、小学生が下校して行きます。
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鹿苑寺(金閣寺)その9最終回です。 「貴人榻(きじんとう)」です。(写真左) 高貴な人が、座られた腰掛石で室町幕府から移設されました。 写真中央は、八代将軍の足利義政遺愛の、富士形「手洗鉢」です。 そして、茶室の「夕佳亭(せっかてい)」です。入母屋造で茅葺きの田舎家風造りで、ナンテン(南天)の床柱、ハギ(萩)の違い棚が用いられています。
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近くの野原には、開ききったススキが初冬の風に揺れていました。そんな光景を夕月も眺めていました。
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鹿苑寺(金閣寺)その8です。 金閣の裏山には、石仏があり周りには賽銭が散らばっていましたが、殆どが1円玉でした。 五重の石塔は、「白蛇の塚(はくじゃのつか)」と呼ばれ、義満がこの地に山荘を築く以前にこの地を所有していた、西園寺家の鎮守といわれています。そして、裏山から見られた金閣です。
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鹿苑寺(金閣寺)その7です。 庭園には金閣以外にも、いろいろなものがあります。写真左は、「銀河泉」で足利義満のお茶の水と呼ばれています。 写真中央は、「厳下泉」で、義満の手洗いの水だそうです。 写真右は、「龍門の滝」という小さな瀑布があります。
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赤くて小さな実を沢山付ける低木に、「ピラカンサ」と「ナンテン(南天)」があります。よく似ていますが、ピラカンサは、中国、ヨーロッパ原産でバラ科です。(写真左・中央) ナンテンは、日本、中国、東南アジアの原産でメギ科です。(写真右)
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散歩の道中に、家々の垣根越しに見られる、紅葉を撮して見ました。紅葉も、そろそろ終盤になってきましたが、まだまだ見頃は続いているようです。
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鹿苑寺(金閣寺)その6です。金閣の正面からの写真はよく見ますが、裏側からの写真はあまりないように、思えるので撮してみました。
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風も無く暖かな、これぞ小春日和と思われるある日、空を見上げると「うろこ雲」浮かんでいました。そして、夕月も浮かんでいました。ところで、「ひつじ雲」と「うろこ雲」の見分け方は知っていますか。手を伸ばして、小指と人差し指で判断します。雲が小指で隠れた場合はうろこ雲、人差し指でも隠れない場合はひつじ雲です。写真左は、鱗と羊が混ざっていますよね。
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通りすがりに見かけた「菊」を撮してみました。
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国道24号線の「大久保バイパス」の光景です。両側に植えられている木々が紅葉しています。京奈和自動車道が出来、現在は第二名神高速道路の工事が行われていて、ますます大久保バイパスの交通量(動 画)が増えています。第二名神が開通すれば大渋滞が発生しそうです。
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今年も早くも師走になりました。12月の最大の年中行事は、クリスマスですよね。我が家も玄関の下駄箱の上に、毎年代わり映えのしない、クリスマスグッズを並べました。
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近くの木津川の土手を通行している人を撮してみました。歩いている人、自転車に乗っている人、バイクに乗っている人、単純な日常の光景ですが、写真を並べてみると面白いものです。
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近くには、宇治茶の茶畑が広がっています。今、お茶の花が咲いています。小さな花ですが、蕾は数多くできています。六ヶ月後には、新芽が伸びて茶摘みが行われるのです。
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鹿苑寺(金閣寺)その5です。見学順路を行くと、金閣の裏側を見ることができます。百日紅(サルスベリ)が、ピンクの花を付けていました。金閣の裏側と百日紅とのコラボです。
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正道官衙遺跡のその3です。 遺跡全体を撮しました。史跡に指定されたのなら、このような中途半端な復元でなく当時の建物がわかるように復元してほしいもの。黒猫もそう思っていることでしょう。
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正道官衙遺跡のその2です。 昭和49年(1974)に城陽市では最初に国の史跡に指定され、翌年3月に史跡地全体の約10,850平方メートルが公有化されました。写真左と中央は「庁屋」、写真右は「福屋」です。
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中国原産でアオイ科の「フヨウ(芙蓉)」です。ピンクの大輪を咲かせるフヨウは、庭木として親しまれています。近縁種にムクゲがありますが、 一般的には、雌しべの先が上向きに曲がっているのがフヨウ、まっすぐなものがムクゲと区別できます。
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いつもの散策コースにある100本桜並木です。木津川沿いの桜並木なので、落葉は早くほぼ冬支度は完了していました。
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急に寒くなってきました。近くを流れる嫁付川にある桜並木の木々も紅葉が進んで、落葉が盛んになっています。ほどなく冬支度が完了することでしょう。
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京都府城陽市寺田に、「正道官衙遺跡(しょうどうかんがいせき)」があります。昭和48年(1973)に発掘調査が行われ、奈良時代の郡衙(ぐんが)で、(日本の古代律令制度の下で、郡の官人(郡司)が政務を執った役所)あることがわかりました。写真は、その南門だそうです。
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温州ミカンが、植えられています。沢山の実がなっています。和歌山、愛媛、静岡等の名産地では珍しくもない温州ミカンですが、この辺りでは殆ど見ることができません。一段と黄色くなってきて、もうすぐ食べ頃でしょうか。
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民家の庭先に、ザクロ(柘榴)の木がありました。厚生労働省のホームページには、「古文書には、ザクロは子孫繁栄、富および幸運をもたらす神聖な果実であると記されています。
ジュースや抽出物(エキス)などのザクロ製品は、心疾患、高血圧、高コレステロール血症、がん、糖尿病などさまざまな症状・疾患の予防や治療に良いとされています。」とありました。ところが、「これまでに解明されていること」という欄には、「健康に対するザクロの効果に関する強固な科学的根拠(エビデンス)は多くありません。」とありました。残念!!
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鹿苑寺(金閣寺)その4です。 金閣の屋上に金箔の鳳凰が羽を広げています。金閣を映す鏡湖池には、鷺が飛来して居ました。どちらも絵になりますね。
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8月15日の台風7号の影響で、流れ橋(上津屋橋)が流れて2カ月半になります。工事中という看板が掲げてありますが、工事に着手している様子はありません。時代劇が盛んに撮影されていた時代なら、撮影所も困ったでしょうが今はどうなのでしょうか。(動 画)
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