| 問 1 |
平安京は「四神相応之地」に造られたといわれる。四神のうち青龍が守護する方角はどれか。 |
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| 問 2 |
平安京の中で最も道幅が広く、左京と右京の間を南北に貫くメインストリートはどれか。 |
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| 問 3 |
平安時代末期に権力を握った平氏が基盤を置き、一族の居住地となった地域はどこか。 |
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| 問 4 |
鎌倉時代から室町時代に支持者を拡大した新仏教で、妙顕寺や妙蓮寺など洛中に二十一カ寺もの本山を建立し、強大な寺院群を形成した宗派は何か。 |
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| 問 5 |
建武式目を制定し、のちに室町幕府と呼ばれる武家政権を開いた人物は誰か。 |
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| 問 6 |
明智光秀の急襲により、織田信長が最期を遂げたことで知られる事件が起こった寺院はどこか。 |
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| 問 7 |
「御土居」と呼ばれる、京都を囲む全長約23キロメートルに及ぶ土塁を築かせた人物は誰か。 |
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| 問 8 |
八条宮家初代智仁親王と二代智忠親王父子が造営し、ドイツの著名な建築家ブルーノ・タウトが賞賛したことでも知られる、江戸時代の代表的な山荘はどれか。 |
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| 問 9 |
河原町通蛸薬師にあった醤油商の近江屋で慶応3年(1867)に暗殺された、今年(平成28年)150回忌を迎える土佐出身の大政奉還の功労者は誰か。 |
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| 問 10 |
事実上の東京遷都によってさびれた京都の復興策として、京都府第三代知事・北垣国道が推進し、実現したものはどれか。 |
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| 問 11 |
上賀茂神社は朝廷や武家から信仰されたが、なかでも自身の家紋が神紋に由来することから特に篤く信仰した人物は誰か。 |
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| 問 12 |
平安遷都にあたって王城の南に守護神として創建されたと伝わり、王朝風俗を再現する曲水の宴が行われる神社はどこか。 |
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| 問 13 |
「平安奠都千百年記念祭」に際し京都総鎮守の社として創始された、桓武天皇と孝明天皇を祭神とする神社はどこか。 |
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| 問 14 |
清水寺の起源である千手観音をまつる仏堂を建立した人物は誰か。 |
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| 問 15 |
現存する木造の塔として最も高い五重塔がある寺院はどこか。 |
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| 問 16 |
唐の玄宗皇帝が楊貴妃を偲んで造らせたと伝える通称「楊貴妃観音」をまつる寺院はどこか。 |
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| 問 17 |
境内にある通天橋一帯が紅葉の名所として知られ、禅宗寺院の中で最古の三門(国宝)がある寺院はどこか。 |
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| 問 18 |
応仁の乱(応仁・文明の乱)で荒廃した大徳寺を堺の豪商の援助を得て復興し、晩年を過ごした酬恩庵(京田辺市)に等身大の像があることで知られる僧は誰か。 |
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| 問 19 |
高台寺の霊屋に、豊臣秀吉のものとともに木像が安置される人物は誰か。 |
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| 問 20 |
宣如が石川丈山らとともに作庭した渉成園(枳殼邸)を飛地境内にもつ寺院はどこか。 |
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| 問 21 |
祇園造は、どの神社特有の建築様式か。 |
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| 問 22 |
東山山荘の遺構である観音殿と東求堂の2棟が国宝に指定されており、観音殿の通称が寺院全体の呼称として定着している世界遺産の寺院はどこか。 |
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| 問 23 |
現在文化庁関西分室が置かれている、明治37年(1904)に竣工した松室重光設計の重要文化財の建物は何か。 |
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| 問 24 |
平安遷都と同時期に大内裏の南に造営され、当時は広大な敷地に楼閣や釣殿などがあり、天皇・公家の遊宴や祈雨の修法が行われた禁苑はどこか。 |
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| 問 25 |
明治時代に岡崎・南禅寺界隈に営まれた別荘群のさきがけで、琵琶湖疎水の水を取り入れた小川治兵衛作の庭園でも知られる山県有朋の別邸は何か。 |
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| 問 26 |
晩年に「天橋立図」(国宝)を描いたことで知られる水墨画の大家は誰か。 |
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| 問 27 |
養源院の杉戸絵「唐獅子図」や「白象図」を描いたとされる絵師は誰か。 |
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| 問 28 |
胎内に絹製の五臓六腑などが納められていたことで知られる、奝然が中国からもたらした清涼寺の本尊は何か。 |
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| 問 29 |
醍醐寺三宝院の本尊・弥勒菩薩坐像や大報恩寺の十大弟子立像の作者として知られる、運慶とともに活躍した鎌倉時代の仏師は誰か。 |
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| 問 30 |
野々村仁清に学び晩年に鳴滝に窯を開いた陶工で、絵師であった兄との合作でも知られる人物は誰か。 |
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| 問 31 |
次のうち、京表具の技術が活用されるものはどれか。 |
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| 問 32 |
京都の伝統工芸品のひとつで、「糸で描く絵画」と呼ばれるほど精緻な技法により生み出され、能装束や婚礼の打掛などに用いられる、経済産業大臣指定伝統的工芸品の名称は何か。 |
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| 問 33 |
『古今和歌集』編さんの中心となり、その仮名序を記した人物は誰か。
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| 問 34 |
武野紹 |
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| 問 35 |
代々、西本願寺の保護を受けた茶道家元はどこか。 |
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| 問 36 |
京都能楽会に加わる能楽師が一堂に集まり、能や狂言を上演する「京都薪能」はどこで行われるか。 |
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| 問 37 |
千本閻魔堂、清涼寺とともに京都の三大念仏狂言に数えられ、開催期間中は毎日最初に「炮烙割(ほうらくわり)」が上演される寺院はどこか。 |
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| 問 38 |
京都唯一の歌舞伎劇場である南座が耐震対策のために休館したことに伴って、今年(平成28年)の顔見せ興行はどこで行われているか。 |
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| 問 39 |
毎年4月上旬から中旬に宮川町歌舞練場で行われる舞踊会は何か。 |
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| 問 40 |
舞妓の髪には毎月決まった花簪(かんざし)を挿すしきたりがある。2月の花簪は何か。 |
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| 問 41 |
2月8日に法輪寺で行われる針供養では、糸を付けた針をある食べ物に刺して供養する。その食べ物とは何か。 |
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| 問 42 |
5月15日に行われる葵祭で、本列や斎王代を中心とする女人列が京都御所建礼門前から行列することを何と呼ぶか。 |
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| 問 43 |
6月20日、法螺貝(ほらがい)の合図で法師が掛け声とともに青竹を伐る「竹伐り会式」が行われる寺院はどこか。 |
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| 問 44 |
祇園祭の山鉾には、前祭先頭の長刀鉾をはじめ古例により巡行順が決まっている「くじ取らず」がある。次の鉾のうち、「くじ取らず」はどれか。 |
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| 問 45 |
盂蘭盆会(うらぼんえ)の魂送り行事である五山の送り火はいつ行われるか。 |
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| 問 46 |
8月23日と24日に千灯供養が行われる寺院はどこか。 |
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| 問 47 |
10月22日に行われる時代祭の行列のうち、最後に加えられたものはどれか。 |
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| 問 48 |
東寺の「終い弘法」はいつ行われるか。 |
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| 問 49 |
京ことばで「どんつき」の意味は何か。 |
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| 問 50 |
京ことばで「よーけ」の意味は何か。 |
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| 問 51 |
茶事における一汁三菜を基本とし、茶道とともに発達した料理は何か。 |
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| 問 52 |
関東ではめったに食されることがなかったが、「骨切り」という手法が用いられることで、京の夏の味覚として定着した魚は何か。 |
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| 問 53 |
へたが三片のものが形のよいものとされ、京料理の田楽に欠かせない京野菜はどれか。 |
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| 問 54 |
次のうち、5月5日の端午の節句に食べる菓子は何か。 |
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| 問 55 |
身重のまま亡くなった女性の幽霊が飴を買い求め、赤ん坊に飴を食べさせていたという伝説がある幽霊子育飴はどこの門前で販売されているか。 |
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| 問 56 |
俗に火事が起こりにくくなるので暖房の火入れによいとされ、茶家では炉開きが行われる日はどれか。 |
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| 問 57 |
ならわしとして、京都の人がお葬式や霊柩車に出会った時に取る行動はどれか。 |
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| 問 58 |
俗に、3歳まで詣でると一生火難を免れるという神社はどこか。 |
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| 問 59 |
上品蓮台寺にゆかりの深い伝説は、次のどれか。 |
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| 問 60 |
かつての巨椋池の西岸にあたり、中世には芋洗と記した地名はどれか。 |
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| 問 61 |
平安時代、藤原氏は政変でライバルとなる貴族を排斥し、勢力を伸ばしていった。例えば、宇多天皇が藤原氏けん制のために登用した(61)は、藤原時平との争いに敗れ、太宰府に左遷され亡くなった。この事件後、時平や皇太子・皇太孫の病死、清涼殿への落雷などの異変が相次いだことから、(61)は怨霊と恐れられ、鎮めるために現在の北野天満宮にまつられた。
さらに、藤原氏は天皇家との姻戚関係を強固なものとして実権を握った。その最盛期は藤原道長の頃である。道長は一条天皇に長女の(62)を、続く三条天皇に次女の,?子を入内させた。長和5年(1016)、三条天皇の譲位によって後一条天皇が即位すると、道長は祖父として幼少の天皇を補佐する役割である(63)に就く。後一条天皇にも三女の威子を入内させ、皇后・皇太后・太皇太后はすべて道長の娘となった。
(62)には多くの女性文化人が女房として仕えていた。その一人である(64)が著した『源氏物語』の主人公・光源氏は道長をモデルとした説もあり、彼女の邸宅跡と伝わる廬山寺には「源氏の庭」がある。また和泉式部の墓といわれる宝篋印塔がある誠心院は、道長が(62)に請われ、和泉式部のために小御堂と呼ばれるお堂を建て与えたことが起こりである。晩年、出家した道長は、末法思想から極楽に見立てた(65)庭園を持つ広大にして壮麗な法成寺を建立した。道長の日記は『(66)』や『法成寺摂政記』などと呼ばれ、近衛家の陽明文庫が所蔵する国宝である。平成25年にユネスコ記憶遺産に登録された。道長の死後、長男の(67)が別荘であった宇治殿を寺としたのが(68)の始まりである。10円硬貨にも描かれている国宝の阿弥陀堂は(69)の名で知られ、近年修復作業により往時の彩色が復元された。本尊阿弥陀如来坐像(国宝)は仏師(70)の作であることが確認できる現存唯一の仏像である。
(61)の回答
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| 問 62 |
(62)の回答 |
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| 問 63 |
(63)の回答 |
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| 問 64 |
(64)の回答 |
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| 問 65 |
(65)の回答 |
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| 問 66 |
(66)の回答 |
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| 問 67 |
(67)の回答 |
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| 問 68 |
(68)の回答 |
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| 問 69 |
(69)の回答 |
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| 問 70 |
(70)の回答 |
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| 問 71 |
疫病除けのご利益があるとされ、明治維新までは皇室が皇士誕生のたび参詣し土産にしたと伝わる、御霊神社(上御霊神社)の門前菓子は何か。 |
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| 問 72 |
京みやげとして喜ばれる京漬物の中で、発祥の地である大原の赤紫蘇(しそ)を用いて、みょうが・きゅうりなどを材料に作られるものは何か。 |
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| 問 73 |
最近は抹茶を使った洋菓子が京都のおみやげとして人気を博しているが、喫茶の習慣が広まった当初に本茶とされた栂尾と並んで古くから茶の産地として知られ、全国的なブランド名ともなっている地名はどれか。 |
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| 問 74 |
京都の質の高い地下水と冬寒い気候を利用して造られる名産品のひとつで、伏見が全国的に知られる代表的な産地であるものは何か。 |
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| 問 75 |
豆乳を煮立てて表面に生じた薄い膜を細い棒などで引き上げた食品で、生のものや乾燥させたものがおみやげとして人気があるものは何か。 |
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| 問 76 |
愛宕山の南麓にある水尾地域が古くからの産地で、洋菓子や味噌、ドレッシングなどおみやげにも適する様々な商品に加工されている果実は何か。 |
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| 問 77 |
丸台や角台、高台などを使って数十本の糸を組み上げ、多くの工程を経て完成する伝統工芸品で、最近はストラップやアクセサリーなどがおみやげとして人気のものは何か。 |
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| 問 78 |
刀剣のつばなどの装飾として用いられ、明治時代には廃刀令によって打撃を受けたが、一方で欧米への土産物として珍重され、京都博覧会などでその技術が海外に喧伝された伝統工芸品は何か。 |
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| 問 79 |
日本画や文化財の彩色修復などに用いられる白色の顔料を「胡粉(ごふん)」といい、最近ではネイルの色彩にも使われ、天然素材として女性に人気がある。この「胡粉」の材料は何か。 |
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| 問 80 |
生地全面に現れる細かい凹凸状の「シボ」が特徴で、着物をはじめ、風呂敷や髪飾り、人形などの和雑貨にも用いられる、京都府北部の丹後地方がその代表的産地である織物は何か。 |
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| 問 81 |
商売繁盛の神として知られる恵比寿神社の「初ゑびす」は1月の何日に催されるか。 |
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| 問 82 |
恵比寿神社は、宋からの帰路に栄西が恵比寿神を船中にまつると暴風雨が静まったことから、栄西がある寺院を創建する際にその山内に恵比寿神をまつったことがはじまりとされる。この寺院はどこか。 |
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| 問 83 |
萬福寺の天王殿にまつられる布袋像は、何の化身とされるか。 |
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| 問 84 |
松ヶ崎大黒天は、五山の送り火の火床がある松ヶ崎東山の麓にある。灯される送り火は何か。
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| 問 85 |
寿老神をまつる都七福神のひとつで、西国三十三所霊場の第19番札所でもあり、射止めた鹿の腹の中に生きた小鹿を見て後悔し仏門に入った行円が開山である寺院はどこか。 |
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| 問 86 |
弁財天をまつる六波羅蜜寺の開祖は、「南無阿弥陀仏」の6文字をあらわす阿弥陀仏が口から飛び出している康勝作の木像でも知られる。この開祖は誰か。 |
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| 問 87 |
福禄寿をまつる赤山禅院の拝殿の屋根上で、京都の鬼門を護る動物の像は何か。 |
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| 問 88 |
東寺所蔵の兜跋毘沙門天像(国宝)はかつてどこに安置されていたと伝わるか。 |
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| 問 89 |
京都には、国宝に指定された彫刻の毘沙門天像が2躯ある。ひとつは東寺所蔵の兜跋毘沙門天像であるが、もうひとつの像を所蔵する寺院はどこか。 |
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| 問 90 |
即成院に福禄寿、来迎院に布袋尊など、山内の塔頭寺院に七福神がまつられ、成人の日に七福神めぐりが行われる寺院はどこか。 |
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| 問 91 |
葵祭の行列は、加茂街道を北上した後、堀川通との合流点のすぐ北にある御薗橋を渡って( )に到着する。 |
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| 問 92 |
平安初期の公卿・歌人として知られ、六道の辻の伝説では地獄の閻魔大王に仕えたとされる( )の墓所は、堀川北大路下ルにある。 |
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| 問 93 |
堀川寺之内北東の一角に位置する本法寺には、( )の作と伝わる三巴の庭がある。 |
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| 問 94 |
応仁の乱(応仁・文明の乱)の際、現在の堀川上立売近くに邸宅があった( )が、西軍を率いて辺りに陣を構えたことから、後に一帯が「西陣」と呼ばれるようになった。 |
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| 問 95 |
堀川今出川の東に位置し、境内に「蹴鞠の碑」があることでも知られる( )は、和歌・蹴鞠の家として知られた飛鳥井家の邸宅跡にあり、サッカーをはじめスポーツの上達を願う参拝者も多い。 |
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| 問 96 |
堀川通に面する( )は、天文に精通した平安時代中期の陰陽師の邸宅跡に一条天皇の命によって創建されたとされ、五芒星をかたどった桔梗印が神紋である。 |
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| 問 97 |
京野菜のひとつで、一般のものと比べ直径が太く中心に穴があいていることが特徴である「堀川( )」は、堀川の西にあった聚楽第の破却後、その堀で作られたことが起源とされるか。 |
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| 問 98 |
現在、二条城では堀川通に面した( )が正門として使われている。 |
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| 問 99 |
京都の南北を走る通りを読んだ歌にある( )は、堀川通の一筋東にあり、その名はかつて堀川五条下ルにあった名水に由来する。 |
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| 問 100 |
堀川通に面した西本願寺には、京都の「三閣」の一つと称される( )がある。 |
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