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| 問 1 | 京都盆地西部の桂川流域に勢力を持ち、蛇塚古墳がその首長墓と推定される渡来系氏族は何氏か。 | 答え: |
| 問 2 | 平安時代中期頃、平安京では湿地帯であった右京から人口が流入した左京が拡大し、東は鴨川、北は一条通を超えて新しい街路が造られた。現在の今出川通にほぼ該当する道は中世には何と呼ばれていたか。 |
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| 問 3 | 念仏が禁止され、法然・親鸞が流罪となった建永の法難は、後鳥羽上皇の女御二人が法然の弟子である住蓮・安楽のもとに出家してきたことがきっかけとなった。この女御二人とは誰と誰か。 | 答え: |
| 問 4 | 応仁の乱(応仁・文明の乱)後も畠山氏の跡目争いが続いたことから、久世・綴喜・相楽群一帯の国人や農民が協力して畠山氏を排除し、文明17年(1485)から約8年間自治を行ったことを何と呼ぶか。 | 答え: |
| 問 5 | 徳川家康譜代の家臣で、命を受けて伏見城を守るも小早川秀秋らから攻撃を受けて自刃した、正伝寺や養源院の血天井でもその名が知られる徳川方の総大将は誰か。 | 答え: |
| 問 6 | 二条城二の丸御殿の建物の中でもっとも奥に位置し、将軍の居間や寝室として用いられた棟(部屋)は何か。 | 答え: |
| 問 7 | 修学院離宮の中で、後水尾上皇御幸時の御座所であった下離宮の中心的建物は何か。 | 答え: |
| 問 8 | 新選組の参謀を務めたが、勤王派であったため離脱して御陵衛士(高台寺党)を結成し、その後七条油小路で近藤勇らの謀略によって暗殺された人物は誰か。 | 答え: |
| 問 9 | 琵琶湖疎水を京都市北部へ引くために作られた、南禅寺境内にあるアーチ型橋脚の建造物は何か。 | 答え: |
| 問 10 | 日本最初の洋風両切たばこの製造・販売に乗り出して「煙草王」として名を馳せ、東山にロココ様式を取り入れた長楽館を建てた人物は誰か。 |
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| 問 11 | 平安神宮は平安宮(大内裏)の建物を模して建立され、外拝殿は大極殿を、神門は応天門を模してたものである。社殿は何を模したものか | 答え: |
| 問 12 | 美福門院創建の歓喜光院の鎮守社として創始されたと伝え、古くは「角豆祭」の名で知られた神幸祭が現在は5月の第2日曜日に行われる神社はどこか。 | 答え: |
| 問 13 | 角倉了以・素庵父子・伊藤仁斎・東涯父子らの墓がある寺院はどこか。 | 答え: |
| 問 14 | 洛陽六阿弥陀巡りのひとつで、重要文化財の本堂が天台宗寺院として京都市内最大規模を誇り、境内には明治時代に初の民間銀行を立ち上げた三井家累代の墓がある寺院はどこか。 | 答え: |
| 問 15 | 聖徳太子の発願により建立されたと伝え、大化2年(646)に宇治橋が架けられると橋を管理する寺となった、通称「橋寺」と呼ばれる寺院はどこか。 | 答え: |
| 問 16 | 後水尾法皇が貴船の鎮宅霊符神を大宮御所の真北に遷したことにはじまる、通称「鎮宅さん」と呼ばれる寺院はどこか。 | 答え: |
| 問 17 | 清和天皇の勅願により円仁が四宗兼学道場として禁裏内に建立したことにはじまり、現在は浄土宗京都四ヵ本山の一つとなっている、京都御所東側の寺院はどこか。 | 答え: |
| 問 18 | 西陣聖天とも呼ばれる雨宝院の本堂前にある八重桜は、開花時に根元から花を付けることで知られる。通称何と呼ばれるか。 | 答え: |
| 問 19 | 境内に花びらが一片ずつ散る五色の八重散椿があることから、「椿寺」の通称で知られる一条通沿いの寺院はどこか。 | 答え: |
| 問 20 | 今年(平成28年)、生誕300年を迎える俳人・与謝蕪村の墓や蕪村が松尾芭蕉を偲んで再興した茶室がある寺院はどこか。 | 答え: |
| 問 21 | 現存最古の客殿遺構である方丈が、南北朝時代の建造ながら随所に寝殿造の趣きをもつとされ、国宝にも指定されている東福寺の塔頭はどこか。 | 答え: |
| 問 22 | 明治35年(1902)に三条通に建設された煉瓦造の洋風建築で、外壁を残して内部のみを改築するファサード保存の手法が用いられた日本で最初の例とされる建物は何か。 | 答え: |
| 問 23 | 清原夏野の山荘を寺に改めた双丘寺は、のちに伽藍が整えられて天安寺とも称され、大寺院となったがその後衰微したとされる。平安時代後期、この旧跡を「青女の滝」で知られる法金剛院として再興した人物は誰か。 |
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| 問 24 | 亀山法皇遺愛の林泉で、心字池を特徴とする池泉回遊式庭園が国の史跡および名勝に指定されており、方丈などの建物が桂昌院の寄進によって再興された寺院はどこか。 | 答え: |
| 問 25 | 法華宗最初の勅願寺である妙顕寺の書院前庭は、何と名付けられているか。 | 答え: |
| 問 26 | 釈尊(釈迦)の生涯と前世での修行の物語を説いた伝記に絵が付けられ、上品蓮台寺や醍醐寺に残る奈良時代のものが国宝に指定されている経典は何か。 | 答え: |
| 問 27 | 京狩野の祖である狩野山楽と山雪が手掛けた方丈障壁画(重要文化財)のデジタル複製が5年かけて行われ、今年(平成28年)に完了した妙心寺の塔頭はどこか。 | 答え: |
| 問 28 | 与謝蕪村に俳句や絵画を学び、蕪村死後は対照的な画風の円山応挙にも影響を受け、その住まいから四条派と呼ばれる流派の祖となった絵師は誰か。 | 答え: |
| 問 29 | 平等院の鳳凰堂中堂内部の長押上の小壁に掛けられており、鳳翔館に保存されるものも合わせて現存する52躯が国宝に指定されている仏像彫刻は何か。 | 答え: |
| 問 30 | 京都の伝統工芸品のひとつで、?笥や机、茶道具などを、金釘を1本も使わず木板を組み合わせて作る、経済産業大臣指定伝統的工芸品の名称は何か。 | 答え: |
| 問 31 | 祇園祭で各山鉾町が行う神事始めを何と呼ぶか。 | 答え: |
| 問 32 | 五山の送り火の「船形」の点火の合図となる鐘を鳴らしたり、西賀茂船山山麓で住職が読経を行ったりする寺院はどこか。 | 答え: |
| 問 33 | 時代祭と同じ日に、京都三大奇祭の一つが行われる神社はどこか。 | 答え: |
| 問 34 | 晩年を泉涌寺の近くで過ごしたとも伝わり、その境内に歌碑がある人物は誰か。 | 答え: |
| 問 35 | 江戸時代後期に煎茶手前を創案し、その家元として公家や文人に煎茶道を流行させ、のちにその喫茶法が『喫茶弁』として出版された人物は誰か。 | 答え: |
| 問 36 | 江戸時代初め、観世流宗家が江戸に移った後、最初に観世京屋敷の管理と諸用向きを取り仕切った観世流ワキ方福王流の家元は誰か。 | 答え: |
| 問 37 | 江戸時代、宮中への参勤を主として京都で活躍した狂言の和泉流の祖で、尾張徳川家に召し抱えられた人物は誰か。 | 答え: |
| 問 38 | 京のブランド産品(ブランド京野菜)である、大粒でこくと甘味が特徴の黒大豆の枝豆のブランド名は何か。 | 答え: |
| 問 39 | 鬼に強いといわれ、京町家の小屋根に祀られる風習がある魔除けの置物は何か。 | 答え: |
| 問 40 | 織屋の丁稚と織子のいがみ合いから起きた「撞かずの鐘」の伝説が残る寺院はどこか。 | 答え: |
| 問 41 | 「京の七口」とは、出入り口が「七つ」あるという意味ではなく、京と諸国を結ぶ出入り口の総称と考えられる。たとえば、公家・近衛信尹の日記『三藐院記』は、天正19年(1591)に豊臣秀吉が御土居を築き、そこに「十の口」を設けたと記している。 東海道・東山道へ通じる三条口は粟田口ともいい、三条口は粟田口ともいい、三条大橋や蹴上付近にあった。現在、三条大橋西側には『東海道中膝栗毛』の主人公である二人・( 41 )像がある。東国への幹線道と通じるため古くから交通の要衝であり、山城国と近江国の国境に設けられた( 42 )は、小倉百人一首に採られた?丸や清少納言の和歌の歌枕に詠まれている。 御土居の西南に設けられた出入り口は、現在もJR山陰本線( 43 )駅にその名が残る。山陰道へ通じており、かつて国境であった大枝山の( 44 )の峠には、酒呑童子のものと伝わる首塚がある。大枝山近辺は都から追放された賊などの棲み処であり、鬼が住まうと信じられていた。 長坂口は清蔵口、北丹波口ともいい、本阿弥光悦が徳川家康から拝領したことで知られる( 45 )の地から長坂峠を越えて杉坂に至る。途中峠を経由する若狭街道の出入り口は( 46 )口で近隣の町名にその名が残る。慶長4年(1868)に立てられた寺町今出川付近の道標には、比叡山などへ通じていることが刻まれている。 賀茂川に架かる出雲路橋西の鞍馬口は、上賀茂・市原・鞍馬へ至る鞍馬街道の出入り口で、その西にある( 47 )の地蔵堂に祀られる鞍馬口地蔵は、京の六地蔵めぐりの一つである。志賀越道(山中越)の出入り口である荒神口には正式名を( 48 )という寺院があり、その通称「清荒神」がその名の由来である。 鳥羽街道(鳥羽の作道)や( 49 )街道の出入り口であった東寺口は、詳細な場所こそ明確ではないが、現在も東寺の西南が京阪国道や国道171号の起点となっており、往時が偲ばれる。 五条橋口や竹田口からは伏見街道や竹田街道といった伏見への街道が伸び、さらに道は奈良へと続く。豊臣秀吉が伏見城築城の際、宇治川に架けた( 50 )橋は幕末の動乱で焼け、現在はその場所に観月橋が架かる。 (41)の答え |
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| 問 42 | (42)の答え | 答え: |
| 問 43 | (43)の答え | 答え: |
| 問 44 | (44)の答え | 答え: |
| 問 45 | (45)の答え | 答え: |
| 問 46 | (46)の答え | 答え: |
| 問 47 | (47)の答え | 答え: |
| 問 48 | (48)の答え | 答え: |
| 問 49 | (49)の答え | 答え: |
| 問 50 | (50)の答え | 答え: |
| 問 51 | 月読神社(松尾大社境外摂社)の石の( )は、神功皇后が出産の際、この石で腹を撫でて安産したと伝わり、通称「安産石」と呼ばれる。 |
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| 問 52 | ( )(神社・寺院名)は、「影向石」があり紀州熊野から三羽の烏が飛んできて石になったと伝える。三石(みついし)とも呼ばれ、末社の熊野社の神体。 |
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| 問 53 | ( )(神社・寺院の名)は、「月下氷人石」がある。門前の石碑の片側に「さがす方」、反対側に「教しゆる方」、正面に「迷子みちしるべ」と彫ってあり、伝言板のように利用されたという。同様の石が北野天満宮や八坂神社にも残る。 | 答え: |
| 問 54 | 西雲院にある「紫雲石」は、法然がこの石の上で念仏を唱えたところ、紫雲光明が発するのを見たと伝える。本山である( )の山号・紫雲山はこの伝説に由来。 | 答え: |
| 問 55 | 知恩院には、「瓜生石」がある。( )が降臨して一夜のうちに瓜が生えて実った伝説がある。二条城へ続く抜け道の出入り口とも言われる。 | 答え: |
| 問 56 | 今年(平成28年)没後800年を迎えた鴨長明が、山科の日野に草庵を結んで著したとされる作品は何か。 | 答え: |
| 問 57 | 大正5年(1916)に発表された、高瀬川を舞台にした小説『高瀬舟』の作者は誰か。 | 答え: |
| 問 58 | 梶井基次郎の短編小説の中で、主人公が京都の洋書店に爆弾に見立てて置いた、この作品の題名にもなっているものは何か。 | 答え: |
| 問 59 | 今年(平成28年)生誕130年の谷崎潤一郎が、南禅寺の塔頭・真乗院で書き終えた長編小説で、主人公の四姉妹が都をどりや平安神宮など、京都観光を楽しむ姿が描かれた作品は何か。 |
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| 問 60 | 小説『古都』は生き別れになった双子の女性を主人公に、背景には京都の様々な文化や年中行事、産業が描かれており、今年(平成28年)その後を描いた同名の映画が公開された。この原作小説の作者は誰か。 | 答え: |
| 問 61 | 随心院について 本尊( 61 )、金剛薩捶坐像(重要文化財)の作者( 62 )、『都名所図会』にも記された小野小町ゆかりの史跡( 63 )、小野小町のもとに通い続けた『百夜通い』の伝説の主人公( 64 )、3月に行われる今様を踊る行事の名称( 65 )。 (61)の回答 |
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| 問 62 | (62)の回答 | 答え: |
| 問 63 | (63)の回答 | 答え: |
| 問 64 | (64)の回答 | 答え: |
| 問 65 | (65)の回答 | 答え: |
| 問 66 | 伊藤若冲について 実家の家業( 66 )、特に好んで描いた動物( 67 )、現在御物となっている相国寺に奉納した代表作( 68 )、『若冲筆投げの間』と呼ばれる方丈がある寺院( 69 )、今年(平成28年)若冲の原画をもとに見送を新調した祇園祭の鉾の名称( 70 ) (66)の回答 |
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| 問 67 | (67)の回答 | 答え: |
| 問 68 | (68)の回答 | 答え: |
| 問 69 | (69)の回答 | 答え: |
| 問 70 | (70)の回答 | 答え: |
| 問 71 | 京舞井上流について 流祖が御殿舞などを学んだ奉公先( 71 )、流儀の紋( 72 )、京都博覧会の余興として都をどりを振付した三世家元の本名( 73 )、これまで都をどりが開催されてきた会場( 74 )、三世と四世家元をモデルにした戯曲『京舞』の作者( 75 )。 (71)の回答 |
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| 問 72 | (72)の回答 | 答え: |
| 問 73 | (73)の回答 | 答え: |
| 問 74 | (74)の回答 | 答え: |
| 問 75 | (75)の回答 | 答え: |
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