山科疎水(やましなそすい)が流れる山科は、東山と音羽山に囲まれた盆地であり、天智天皇が大津京遷都により奈良と近江の交通の要所として、早くから開けていました。都が東京に移って衰退していた京都に琵琶湖の水を引くために東山にトンネルを掘り山科、蹴上を通る人工の河川が完成したのが明治23年で、その担当技師が田邊朔朗という今の東京大学を卒業したばかり若者だったのです。
工事予算は当時の金額で125万円ということです。この第1トンネルは長さが2,436メートルもあり,完成を危ぶむ人が多くあったほどの難工事であったそうで、わが国で初めて竪坑利用による工法を採用し,れんが,材木も直営で生産し,ほとんど人力だけで工事をしたそうです。この疎水の完成により発電、運送、産業用と多目的に利用されたので、新しい工場が生まれ、路面電車も走り出し,京都は活力を取り戻したのです。
その後電力の需要に対応出来なくなり、市民の飲料水は井戸水に頼っていたのを、近代都市へ脱皮するために第二疎水が明治45年に完成し、水道も明治45年4月蹴上浄水場より給水を開始しました。現在も京都市民の飲料水として蹴上浄水場も二つの疎水も明治時代と変わらず利用されています。
山科疎水の両側には桜が植えられ春には美しい景観を見せていますが、季節を問わず格好の憩いの場や散策路になっています。
毘沙門堂(びしゃもんどう)の創建は、大宝3年(703)平親範が祖先が建てた三つの寺を合わせて、京都御所北の出雲路に再建しましたが、兵火により荒廃しました。寛文5年(1665)に、天海僧正の弟子の公海僧正が、現在地に再興しました。その後、門跡寺院になりました。 |
| 山 科 疎 水 |
京都市山科区 |
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地下鉄東西線・京阪電車「山科駅」下車 北へ徒歩10分 |
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公式サイトなし |
| 毘 沙 門 堂 |
京都市山科区安朱稲荷山町18 |
☎ 075-581-0328 |
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8:30~17:00 500円 |
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