千本釈迦堂(せんぼんしゃかどう)は、真言宗智山派の寺で 本尊は釈迦如来。正式には大報恩寺(だいほうおんじ)というが、通称は千本釈迦堂と呼ばれている。鎌倉初期、1227年(安貞元年)藤原秀衡の孫にあたる義空によって開創された。応仁の乱などたびたびの火災で諸堂を焼失したが、釈迦堂(本堂)のみは奇跡的に難を逃れ創建当時のままで、京都市内最古の木造建築として、厨子、棟木、棟札とともに国宝に指定されている。本尊は快慶の弟子行快の作で、快慶晩年の作釈迦十大弟子像とともに国の重要文化財に指定されている。
 本堂の前にある「おかめ塚」は、本堂を造営の際棟梁である高次が柱の寸法を誤って切ってしまった。代わりの柱がなく途方に暮れていたとき妻のおかめが「もはや 切ってしまったことは仕方がありません、柱を短く揃え桝組(ますぐみ) を入れて高さを合わせればどうでしょう」 と進言した。このアイディアにより高次は見事完成させた。1227年12月26日に上棟式があったが、おかめは女の提言によって棟梁としての大任を果たしたということが世間に知れたら夫の名声にかかわることを思い、上棟式を見ることなくおかめは自らの命を絶ってしまう。高次は亡き妻の名に因んだ福面を扇御幣に付けて飾り、妻の冥福と本堂の完成を祈ったと云われている。現在でも棟上式に飾られる、おかめの御幣はこの逸話から来ている。
 釘抜地蔵は、正式には石像寺(しゃくぞうじ)という。洛中に住む商人が、両手が急に痛みだし治療の効なく石像寺の地蔵に願をかけると夢枕に地蔵が立ち、「前世に人を怨んで、人形の両手に釘を打ち込んだ罪の報いだ、救ってやろう」。地蔵の手を見ると2本の釘があったという。それ以来体や心に痛みがあるとお参りをすると御利益があり、お礼に2本の釘と釘抜きを板に貼り付けて奉納すようになったそうである。
 一条戻橋は、さまざまな伝説があり千利休が秀吉に切腹させられたが、その首が晒されたのはこの橋の袂であり、千利休の木像が処刑されたのもこの戻橋である。また、戦争に出征する者は生きて帰れるようにこの橋を渡って行ったそうである。花嫁や婚礼の荷物を運ぶ車はこの橋は絶対に通らない。
 

 千本釈迦堂 京都市上京区溝前町1305 ☎ 075-461-5973
  9:00~17:00  散策自由  本堂・霊宝館 600円   
       
 釘 抜 地 蔵 京都市上京区花車町503 ☎ 075-414-2233
  8:30~16:30   散策自由  
    公式サイトなし